日本の若者は世代内分断に晒されている〜偏差値競争が若者の反乱を抑える〜

世代内分断。
私が勝手に作った言葉です。意味は文字通りです。
同じ世代の内部における格差が大きく、価値観のまとまりが無い状態です。

資本主義の社会では、働き始めると同じ世代でも格差が生まれるため、
世代内分断が起こり得るの当然です。
収入や地位の差が目に見えるように現れるのです。

大人になると格差を意識せざる負えない場面は仕方ないですけど、
日本では10代の若者のうちから、格差を痛感させられるのです。

そうです。学力偏差値のせいです。
1970年代前半より教育現場を支配した悪魔の数字のせいです。
生徒の学力に数字をつけて、どこの学校に受かりそうか判断する。
目的は進路指導で使われるだけにとどまらず、
数字そのものに重きが置かれるようになりました。偏差値は高いほど良い。そんな価値観が50年前から中高生には蔓延していたのです。

もはや、勉強とは他者に勝つための道具と化したのです。勉強に学ぶ楽しさが失われていくの得ます。そもそも学びとは、他者や社会を豊かにするために存在するのですけど。

中高生の頃から、偏差値で区別されるのです。
偏差値が高い者は、低い者を「勉強から逃げた負け犬」、「勉強が出来ないのは自己責任」と傲慢に見下すのです。
勉強が出来る者の地位が高いことは、世界共通です。それ自体は資本主義の宿命ですが、日本においては、幅広い層の中で学力の高低による差別が行われるのです。

世界で唯一、学力偏差値による細かすぎる序列づけがなされているせいです。多くの人が差別する側・差別される側に晒されます。
そして、昨今は大学進学率が60%手前まで上がりました。多くの若者が20歳過ぎても、偏差値による世代内格差を感じざる負えない状況なのです。

偏差値のせいで、若者の世代内連帯など無くなります。
あるのは世代内分断だけです。日本では、60年代後半〜70年代前半の学生紛争より後は、若者による大規模反乱デモは行われなくなりました。

学生紛争の世代、つまり団塊の世代はギリギリ偏差値競争に晒されてなかったため、各大学の学生が協力して、権力に対抗していたのです。
左翼系の団体は様々な大学の学生で(中には高卒も)、構成されていましたから。
現在なら、東大・京大と中堅大の学生が協力して、対抗することはあり得ません。

そう考えると、偏差値の導入や浸透は、政府や大企業にとって都合が良いのです。
若者が世代内分断されていて、文句を言う勢力の力が弱いのですから。
バブル崩壊後の就職氷河期問題がなかなか解決しなかった理由の1つは、若者の世代内分断です。
団塊ジュニア世代は、偏差値競争漬けでしたからね。就職できた者は、就職できなかった同世代に同情など抱きません。

声を上げる若者は高学歴層を中心に少なくなりました。声を上げても、自己責任の一言で片付けられます。こうして、既存の社会問題が解決に進まないのです。

受験競争が激しい韓国でも、最近は尹元大統領の非常戒厳に対する抗議で、多くの若者が参加しているんですよ。高校生も参加していました。
偏差値が無い国では、若者による政府や権力への牽制が未だ残っているのです。





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