朝焼けは甘すぎる
もう何も 感じていたく無いんだよ 夜の重さも 朝の甘さも
もういいよ そういって全部受け入れた 夜の散歩も 朝の怖さも
もう二度と 止まれないようにしてください
夜にも朝にも気付きたくないよ
机には ぐしゃぐしゃのレジュメ 缶コーヒー 頼むから朝なんて 来ないで
あいまいな 朝と夜との境目を そっと睨んで 明日を拒んだ
頼むから 遭難させて 朝だから いまはなんにも みたくないから
眠れない夜中には散歩をする。
これはもう、小学4年生くらいからの習慣というか、癖だ。親が夜に喧嘩をはじめたり、兄弟が学校で何かをやらかして家で叱られたり、そんなことがある度に私は裏口から家を出て延々と散歩し続けた。
散歩コースは基本的に近所だった。今考えると子供が夜中歩き回るというのはなかなか危険だけれど、散歩中に事件はあまり起こらなかった。我が家のある地域がお店や塾の多い場所で、ある程度人の目があったというのが大きいと思う。そういえば警察のお世話になった事もなかった。一人暮らしのために家を出るまで、私は延々と夜中を歩き続けた。
子供部屋にある私のベッドの位置が、1番廊下に近くて、リビングで何かあると筒抜けだった。父の家事への不参加をなじる声とか、妹と両親の進路についての喧嘩とか、そういう言葉が全て耳に流れ込んできた。他の弟妹が寝ている子供部屋で、安いイヤホンを使って音漏れさせながら音楽を聴くわけにもいかなくて、でもそんな環境で勉強に身が入る訳もなく、ほぼ必然的に私は夜中、散歩をした。
塾には行っていたから、基本的に親には自習室に行っていたと言えば何も言われなかった。朝の5時まであいている自習室なんて無かったけれど、それを確かめる余裕は両親には無かったんだろう。
父親から貰ったiPodに大量に曲を入れて、ジャンルがごちゃごちゃの音楽を聴きながら、同じような道をずっと歩いていた。どこまで行っても同じような住宅街だった。中学、高校と歳を重ねるごとに行動範囲は広がったけど、大して見える景色は変わらなかった。歳を重ねて変化したのは親の喧嘩の深刻さくらいだった。あとは散歩の途中に寄る喫茶店ができたこと、それくらい。
私は夜が嫌いだが、散歩の時ばかりは夜の暗さがある意味心地良かった。家庭内での口論が始まるのは夜だったけれど、散歩の時の私のすぐ側にいたのも夜だった。何の目的もなく歩き続けた。
朝の5時、それが私が決めた散歩の終了時間だった。5時には家に着いておくこと、と自分の中で規則を作って自分に言い聞かせていた。6時には家族が起きてくるから、それ以前には帰る。怒声や罵声から逃げて散歩をしているのに、散歩が問題視されて怒声や罵声の原因になったら元も子もない。
散歩の時間は割と好きだった。色んな曲を聴いた。sushiboysとか、Coccoとか、米津玄師とか。古いiPodで音楽を聴きながら、変わらない風景と一緒に夜を歩いた。
空がぼんやり明るくなって、訳が分からないくらい綺麗な朝焼けが見えはじめた頃に私は嫌々ながら家に戻った。リビングをちょっと覗いて、荒れた形跡を見付けるのが凄く嫌いだった。割れたグラスとか、問題になった書類とか、家を出た時から減っていない大皿料理とか、そういうのを電気が消えたリビングの机で見つけては、ひどく嫌な気持ちになった。何も解決しないまま今日も終わったんだ、と感じた。
ぼんやり揺蕩っておけば良い夜から一転、現実に引き戻してくる朝は苦手だった。今日も1日頑張ろうね!って言ってくるような、妙に綺麗な朝焼けも苦手だった。こっちはまだ夜を歩いていたかったのに、朝は新しい1日を無理やり自覚させてくる。
今は一人暮らしで、親の罵声も怒声も聞こえないけれど、夜の散歩は偶にする。その度に、朝はやっぱり苦手だな、と自覚する。
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