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【#肩書き のない時間〜9週目】
もう7月。
個人的激動の今年#上半期 、振り返ればそれは
「#必要 を知り気づく為の時間」だったのではないか?ということ。
「まずは#人生の土台 をしっかりさせたい」と、思った去年後半。
#ビジネス も、#演劇 も、全て「#人生 」が土台。
土台とは「#肩書き を付ける前の私」。
だから、演劇もビジネスも白紙にして、#ノー肩書きライフ が開始。
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「#肩書きのない自分 」が「限りあるものをどう使うか」に向き合う。
すると、「肩書きのない自分=自分のまんまの自分」にとっての
#優先順位 、重要性、「何がどれだけ必要か」が#新鮮 に見えてくる。
「何がどれだけ必要か」を知らずして、
「#値付け 」も#へったくれ も無かった(笑)ビジネス以前だった件(笑)
そんなこんなで7月。
私にとっての#言語化 の未来が急に見えてきた。
私の言語化の#センス と能力は、何のためにあるのか?
そのヒントが与えられた気がした
言葉は#万能じゃない 。
#言葉にならないもの もある。
どちらかだけじゃなく、両方あるからこそ「人間」
言葉には確かに限界はある。
でも「認識のすり合わせ」は、感覚より言葉が圧倒的に得意。
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私は「#著作権 の無い#表現者」なのだろう。
私の言語化は、
・思いはあるけど言葉が見つからない人の「通訳」とか、
・自分から言葉を生み出したいけど難産な人の「産婆」とか、
・会話だと言葉が出てくる人の「呼び水」とか。
コールセンターがまさにそうだけど、
いつも誰かの「言葉にならない思い」が先にあって、
「誰かの言葉にならない思い」を、
「アウトプットする言葉」を見繕う、通訳のような言語化が
私の賜物なのかもしれない。
私、どんなふうに言語化してるんだろ?
ちょっと自分観察してみた。
①「感覚」が「言葉にならない思い」に共鳴・共感して、気分に馴染む。
②同時に「思考」で、その人と自分の違和感を「観察」。
「思考」「感情」「感情」の「回路」を分析して導き出す。
③意図的に自分を消す(笑)
④①の気分で、②の「内面回路の模型」を自分に移植。
⑤「④の状態でその状況にいたら、何をどんなふうに感じるか、考えるか?」を、いちいち想定・想像したり、感じたり、気づいたことを観察。
⑥片っ端からしっくりくる言葉を探しまくる(笑)
こんな感じかな。あ、どんどん真似して大丈夫です♪
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そんな恵みのシャワーの中、今日、またひとつ、つつがなく歳をとることができました。
いつも、「誰かの思い」ありき。
著作権は「その想いの持ち主」だから、私のものじゃない。
どこまでも、黒子、裏方、ゴースト。
私が、喜んでいただける言語表現ができた時を振り返ると、
こんな感じのような気がする。
そんな本日は、365日のちょうど半分の日だそうで。
正真正銘の下半期スタートなわけですが、
祝福としか思えない、言葉への気づきが与えられたので、
ワクワクしながら、地味で地道に歩んでいきたいと思います。
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父と母と妹家族、お世話になっているすべての皆様に。
そしてこんなに長い文章を読んでくださる、心優しい読者の方々に。
心からありがとうございます。