鳳凰鏡をPS4にセットするために
弟は、私の質問に「知らん」としか答えない。
ある日学校から帰ってくると、一足先に保育園から帰宅していた弟が、ソファに寝そべりながら見慣れないコントローラーを握っていた。
テレビゲームだ。我が家に初めてゲーム機が来た。びっくりした。
聞きたいことが山ほどある。何から聞いたら良いだろう。興奮冷めやらぬ私は、ランドセルを背負ったまま「ぬーそーがや(何してんの)?」と弟に聞いた。しかし返ってきた答えは「知らん」だった。
「知らん」はないだろう。今ゲームを操作しているアンタが1番よく知っているんじゃないのか。今遊んでいるのはどんなゲームなんだ。面白いのか。
そう色々聞いたが、弟は得意の「知らん」で私の質問をかわし続けた。
結局、この攻防は母の「早くランドセルを片付けろ」という一喝で幕を閉じ、私は渋々学習机のある寝室へ向かうことになった。
「どんなゲームなんだろう」
ランドセルを片付けている間も、私はそのことで頭がいっぱいだった。新しいゲームが初めて家に来たのだ。気にならないはずがない。
ワクワクしながらその日使った教科書を取り出していると、ランドセルの奥底からぐちゃぐちゃになったプリントが見つかった。母に渡したら、それが2ヶ月前のものであることが判明してまた叱られたのを覚えている。
「なんでもらった日に渡さんかや!」
今回だけでなく、母はいつも私にそう問う。しょっちゅうプリントを失くすからだ。
早くゲームがしたかった私は、手っ取り早く母の詰問をかわそうと、弟の「知らん」を真似して使ってみたが、これはまったくの悪手で火に油を注ぐだけだった。
弟は「知らん」の使いどころをよく分かっている。私が使うと大いに顰蹙を買う「知らん」をあたかも曲芸のように操る。すごい。見よう見まねでは体得できない「知らんシステム」なるものが搭載されているとしか思えない。
母の小言を聞きながら、私は弟に感心していた。
自営業に家事に子育てと、3つも仕事を抱えている母は、私の説教にあまり長い時間をかけられない。だから今回も、何百回目かの「プリントはもらった日に必ず渡すこと」を私に言い聞かせて早々と仕事に戻っていった。
私は「はーい」とも「へーい」ともつかない返事をし、やれやれと弟のいるリビングへ向かう。こんな小言は慣れっこだ。プリントが出てきただけでも御の字だろう、と当時の私は思っていた。
今振り返ると、自分でプリントを失くしておいて随分偉そうな小学生だな、と思う。いったい何様のつもりなんだ。
ひと仕事終えた(?)私がリビングに入場すると、弟はさっきとまったく同じ体勢でまったく同じ画面を眺めていた。
空色の背景に可愛くデフォルメされたコントローラーやらメモリーカードやらがルンルンと踊っている。選択肢は「プレイ」「ファイル」「サウンド」「セット」の4つだ。弟はそれを十字キーで縦横無尽に選択し続けている。
何が楽しいのだろうか。
私はもう1度弟にゲームのことを尋ねたが、案の定得られた回答は「知らん」だ。暖簾に腕押し、ぬかに釘である。
業を煮やした私が弟のコントローラーを奪って操作してみると、このゲーム機が『ドリームキャスト』というものらしいことが分かった。
そして弟がずっと熱心に操作していた画面はスタート画面で、本体にはゲームディスクすら入っていない状態だということも判明した。本当に、何が楽しくてスタート画面を眺めていたのか。これは今でも疑問に思う。
だが恐らく、今改めて聞いても「知らん」とか「覚えてない」とか、大物政治家が言いそうな答えしか期待できないだろう。なのでこの疑問が解消されることは金輪際ないと思われる。なにせ弟は、すべての疑問を煙に巻く「知らん」の使い手だからだ。
*
ドリームキャストは、SEGAが開発した最後の家庭用ゲーム機だ。
プレイステーションの対抗馬として発売されたのだが、残念ながらシェアを勝ち取ることができず、ハードゲーム市場から撤退することになった。SEGAにとって非常に苦い思い出のあるゲーム機である。
私たち姉弟がドリームキャストで初めてプレイしたのは『シェンムー 第一章 横須賀』だった。小学生と保育園児が遊ぶには渋すぎるタイトルだが、ストーリーも子供向けとは言い難い。
大まかなあらすじは、このようなものだ。
主人公は、横須賀郊外にある芭月武館の息子・芭月涼(はづき・りょう)。
道場主であり父の巌(いわお)は、藍帝(らんてい)と名乗る謎の中国人に突然命を奪われてしまう。殺害する直前、巌に「趙孫明(ちょう・そんめい)を覚えているな」と告げて。
藍帝は巌の命だけでなく、芭月家の庭に埋められていた龍の装飾が施されている鏡も一緒に奪って逃走した。
なぜ父は殺されなければならなかったのか、鏡を奪った藍帝の目的とは一体何なのか。涼は父の仇を討つため、そして父の死の謎を解明するため旅に出る。
当時の私たちはこれの半分も理解できていなかった。藍帝という悪者にお父さんを殺されて、涼はそれに怒っている。そんな感じの捉え方だったと記憶している。
奪われた鏡の謎だとか、巌が殺された理由についての考察だとか、7歳の子供の脳みそでは、そういうところまで考えが至らなかった。
こんな調子だから、私たちの操作する涼は見当外れな行動ばかりする。ゲームの自由度が高いのを良いことに、家中の引き出しという引き出しを開け、照明という照明を落とし、お小遣いが底を突くまでゲーセンに入り浸った。
ある種の恐怖すら感じる挙動である。親の仇はどうした、と問いたい。
*
シェンムーはオープンワールドの走りとなった作品だ。ファンタジーとはかけ離れた生々しい横須賀を自由に散策しながら、道行く人に聞き込みをする。そうして父を殺した犯人の手がかりを集めるのだ。
涼は藍帝の行方はおろか、彼らが乗っていた車のナンバーさえ知らない。手がかりなんて無いのも同然だ。
しかも涼が追っているのは、人の命を平気で奪い、あまつさえ鏡まで強奪するような男である。近所の迷い猫を探すのとはわけが違う。
困難な上に、危険が伴う旅になるのは火を見るより明らかだろう。
だから道中何度も不良やチンピラと大喧嘩をする羽目になるし、一部の店からは出禁処分を受けている。
涼はまだ18歳だ。
私が保護者だったら「頼むからこんな危険なことはやめてくれ」と泣いて懇願するだろう。実際、ゲーム内で涼は何度も周囲の人に窘められている。それでも彼は”親の仇を討つ”という意思を曲げない。絶対にだ。
根は真面目で優しい青年なのだが、喧嘩っぱやい上に、こうと決めたらテコでも動かない頑固な一面がある。それが芭月涼という人物だ。
と、今だから私は涼をこんな風に捉えているが、小学生の私から見た涼はとても勇敢な大人に見えていた。7歳にとって18歳は大人だ。
少なくとも当時の私は、涼以外で何かに闘志を燃やす大人を見たことがない。1つの目標に向かって横須賀で奔走する涼は、とてもかっこよく見えた。
些細なヒントを頼りに、少しずつ事件の真相に迫っていく。たった1人で暗く深い謎の深淵に挑もうとする涼がかっこよかったのだ。
リアリティに溢れた横須賀に、非現実的な要素が巧妙に入り込んできたのも、私を夢中にさせた。
シェンムーの世界は驚くほどリアルだ。
観光名所のような絶景スポットがない。古き良き昭和の町並みや路地裏マニアが好きそうな怪しい小道はあるが、インスタに投稿してもあまりウケないだろうな、と思う。どの場面を切り取ってもあまり映えないのだ。
涼が住む家や道場は常に湿気ていて、そこかしこから埃の匂いがしてきそうだし、住宅街の壁はどれも苔むしていて薄汚い。近所の公園のブランコは壊れている。
私が住んでいる土地の話をしているのではない。シェンムーの、バーチャルな世界に構築された横須賀の話をしている。
なんというか、全てが生々しいのだ。単なるポリゴンに過ぎない架空の横須賀が。温度も、湿度も、匂いも、全部ありありと伝わってくる。全部。
そんな横須賀の、少し埃の匂いのする芭月家から得体の知れない鳳凰鏡というアイテムが発見されたとき、私はとても感動した。
鳳凰が彫られた深緑の石鏡が、芭月家の奥深くで厳重に保管されていたのだ。
涼によって発見された鳳凰鏡はとても古めかしいデザインで、どちらかというと博物館に展示されていそうな代物である。アンティークとか骨董品とかそういう言葉で片付けるには恐れ多い品だ。
歴史的資料と言っても過言ではない物が民家から出てきた、という部分に私は感銘を受けた。『ハリーポッター』に出てくるダイアゴン横丁の入口や『ナルニア国物語』でお馴染みの衣装ダンスよりも、1986年の横須賀にぬっと姿を現した鳳凰鏡の方がよっぽど幻想的に感じた。
涼のようにくまなく捜査すれば、私の家からも同じようなものが見つかるかもしれない。生活感のありすぎる世界に突如として飛び込んできた非日常に直面して、私はそう錯覚させられた。
まあ、いくら探索しても私の家から見つかったのは鳳凰鏡ではなく、失くしたと思っていた大昔のプリントや定規や消しゴム類だったのだけど。
*
シェンムーのような生活感のある世界に、私はとても影響を受けている。特に絵はシェンムーの影響が大きい。
遠い外国のおとぎ話に出てきそうな魔法の世界よりも、自宅から500mも歩けばたどり着けそうな場所で遭遇する幻想を描きたかった。体を壊してから、私はほとんど絵が描けなくなってしまったのだけど、再び描けるようになったとしたら、やはりシェンムーのような世界を描くだろう。
もっと言えば、私はシェンムーを作りたいと思っていた。
本作は2001年に続編の『シェンムーⅡ』が発売されたものの、残念ながら完結はしていない。さらなる続編においては長期間、本当に長期間、制作が中止されていた。ストーリーが未完のまま。
涼の追っている謎はきっと半分も解明されていない。それなのに突然ブツっと物語が断ち切られ、私は15年以上もモヤモヤを抱えることになった。
だからシェンムーを完結させたくて、涼の旅を終わらせてあげたくて、そのためにSEGAへ何度も「シェンムー3を作ってください」とメールを送った。返事はなかったが。
ほどなくして、返事がないという反応がSEGAなりの「NO」なのだと理解し、私はメールを送るのもやめた。
涼は親の仇も討てず、謎の解明も叶わず、ただただ地縛霊のように桂林の奥地でずっと彷徨い続ける。いち消費者の私は、そんな惨い運命を受け入れるしかなかった。
それを阻止するために、私はSEGAに入社しようとしたことがある。シェンムー3を作ろうと思ったのだ。
そのために誰にも内緒で(家族にはバレていたかもしれないが)3DCGの勉強をしていたのだけれど、シェンムーの生みの親である鈴木裕さんがSEGAを退社したと聞いてアッサリやめてしまった。
私は諦めが早い。
リクエストメールを送るのも、3DCGの勉強も、それで目的が果たせないと分かるとスパッとやめてしまう。本当に突然「やーめた」と思ってしまうのだ。言ってしまえば涼と真逆だ。
私が涼だったら、親の仇が乗っていた車が特定できないと悟った時点で旅を放棄するだろう。何かに闘志を燃やし続けるのは大変なのだ。成人した今だから分かる。
18歳が大人だと思う年はとうに過ぎた。気づけば私は涼の年を10も上回っている。今の私から見た涼は、ただの無謀な子供だ。復讐のためだけに学業を放棄してフラフラと横須賀をほっつき歩く不良である。
そんな子供のために何年も走り続ける情熱が、私にはなかったのだ。ほとほと情けない話ではあるが、それが事実だ。
だから私は涼の旅を終わらせるための努力を、半ば身を切られるような思いで放棄した。惨い運命を受け入れることにしたのだ。
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シェンムーの、つまり涼の旅が再び動き出したのは2015年だ。私が涼の惨い運命を受け入れて数年経った頃だった。
鈴木裕さんがクラウドファンディングを開始したのである。独自でシェンムーの続編を制作するために。この情報に私は驚いた。恐らく、全世界のシェンムーファンが色めき立っただろう。
なんの変哲もない芭月家から鳳凰鏡が発掘されたときのような衝撃だ。
私たちの熱狂は、シェンムーのクラウドファンディングが『最も短時間で100万ドルを集めたビデオゲーム』としてギネス認定されたことからも窺い知ることができる。
ファンディング開始からわずか1時間44分で100万ドルを集め、最終的にそれは700万ドル越えという嘘みたいな記録を樹立した。日本円にして約8億円である。
もちろん、ここには私が寄付したお金も含まれている。財布の紐を縛る理由がどこにあるというのか。私は当時の自分が出せるだけのお金を寄付した。
お金を出すだけとはいえ、昔あっさり諦めたシェンムーの開発に携われるなんて、私にとっては願ってもいない幸運だったのだ。
シェンムー3は、衝撃のクラウドファンディングから紆余曲折を経て2019年に発売された。間接的にとはいえ、私が初めてシェンムーの開発に協力できた作品である。
上部に”シェンムー3”と物々しく書かれたパッケージを手にしたときは不思議な感覚に襲われた。あの丸いディスクは、それこそ芭月家から発掘された鳳凰鏡にそっくりだった。シェンムーⅡの発売から18年間、何百回と見たエンディングの続きがそこに詰まっている。
正直、嘘みたいだった。
これが欲しくて何度もSEGAに嘆願メールを送り、ゲーム会社に入るための勉強までしていたくせに、望んでいたものがいざ目の前に具現化すると、現実味というのは一気に消え失せるものだ。そう強く実感した。
*
今、私の手元にはシェンムー3のパッケージがある。
開封はされているが、実は今のところ1秒もプレイできていない。発売から1年以上経過するというのに、私の家に来た涼は未だに旅を再開できないでいる。
シェンムー3の開発に紆余曲折あったように、クラウドファンディングが開始されてからの私にも大小さまざまな出来事があった。
体を壊してしまったのは、とりわけ大きなニュースの1つだ。
今の私は頭の中が常に靄がかっていて気が散りやすい。集中力を持続することが難しいのだ。絵を描けないでいるのもそれが大きな要因だし、文章だって3,000字書くのにも数日かかる有様である。
ゲームをするにはそれなりの集中力が必要だ。ストーリーの要点を抑えつつキャラクターを操作し、時には画面の指示に従って素早くボタンを押さなければならない。今の私には難しすぎるのだ。
やりたい気持ちは強くあるのに、脳がそれを処理しきれない。こんなにもどかしいことはない。きっと、18年足止めを食らっていた涼も同じ気持ちだったのだろう。
その足止め状態がようやく解消され、とっくに涼は旅の準備ができたというのに、私は未だに解けた靴紐を結ぶのに苦労している。それも1年以上。
横須賀から始まった涼の旅はまだまだ先が長い。ようやく発売されたシェンムー3でやっと折り返し地点に到達したところなのだ。
シェンムー4は開発するのかどうかすら決定していない状態だが、私がグズグズしている間に発売されてしまう可能性は大いにある。涼が私を置いて、どんどん先にいってしまう。
そうならないように私は今、必死に旅の準備を進めている。
涼はぶっきらぼうだが根は優しい。私のようにしつこく嘆願書を出したり、現状を根掘り葉掘り嗅ぎまわったりしない。ただ根気よく、黙って待ってくれている。
おかげで私は旅の準備に集中できている。外出ができるようになり、人との会話への恐怖心が薄れ、酒なしでも眠れるようになった。本が読めるようになったのは大きな進歩だ。
物語を楽しめるようになり、自分でも作文できるようになった。以前の私では考えられないだろう。一緒に旅に出られるようになる日も、そう遠くないと思う。そう期待している。
本当に長いこと待たせてしまった。あともう少しで、ほんの少しで私も旅に出られるから、もうしばらく待っていてほしい。
そうしたら私は、鳳凰鏡のようなディスクをセットできるようになるから。
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