「しずかなインターネット」とnoteはどう違う?
インターネットに自分の文章を公開することの意味を再考するのだ。
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しずかなインターネットというメディアが話題になっている。いや、あんまりなってないかもしれない。少なくとも僕は最近知った。最も目に付く場所に記された運営コンセプトは以下の通り。
noteと何が違う?
noteという別の文章投稿サービスを使っている身としては気になるところだ。ということで、ちょっと調べた範囲で判明した特徴とその所感を通して、「しずかなインターネット」というネーミングの意図を探ってみたいと思う。
・いいね機能がない。
・ページの閲覧数が確認できない
・フォロー&フォロワー数の表示もない
※一応、特定ユーザーをタイムラインに登録する機能はある。一方的なもので、投稿者には通知されないっぽい?
なんというか、数値から突き付けられる優劣意識を徹底的に排除しようという意思が感じ取れる。いいね数を気にし過ぎたり、数字稼ぎ行為に執心してしまう人はどのSNSにも一定数居るものだ。
・検索に使えるタグがない
記事には自作のタグを設定できるが、自分の投稿記事に関する分別専用である。同一タグが設定されている他人の記事を一覧表示したりはできない。
・そもそも記事の検索機能がない
「しずかなインターネット」は文章投稿サイトではあるが、そこからアクセスできるのはマイページくらいだった。検索やレコメンド機能は存在せず、サイト内で他人のページ・記事を見つける方法はおそらく皆無だ。他者の記事にたどり着くには、他媒体でリンクを知るしかないっぽい。これは結構思い切ってると感じた。
・コメント機能(レター)はある
ただし投稿者にしか見えない。匿名の感想は定型文のみ。当該サイト内で唯一のコミュニケーション手段ではあるが、上述の通りまず記事検索ができないので、ランダムアクセス由来の営業活動の温床にはならなさそうだ。
・総評「しずかめ」
他者による反応が全て不可視化され、相互アクセスの機会もかなり制限されているため、一般的なSNSの「広く開け放たれた感じ」「話題や流行が移ろいで賑やかな感じ」とは明確に差別化が図られているなと感じた。モノクロ調のレイアウトも相俟って、派手さのない、よりパーソナルな空間ですよというデザイン意匠も伝わってくる。その雰囲気が好きで使っている人もいるようだ。
日記帳とは何が違う?
特徴を列挙して、運営の方針は何となくでも掴めた。「気楽」「文章を書き散らし」「自分のため」。そんなキーワードの一つ一つは、軽率な書きなぐりを肯定し、利他性の欠片もない自分語りすら許容してくれそうな空気感がある。何せ自分用の日記なんでね。
ただ、個人的なメモや日記のアーカイブ化を目的としているのなら、手元のメモ帳かWordファイルにでも書き連ねてれば良いんじゃね、と思わんでもない。むしろ浮かんで然るべき疑問な気がする。
しずかなインターネット。noteやXと比べたらかなり閉じた気質の空間と言って差し支えないだろう。誰からの反応が無くたって当然だし、当然だからこそ引け目を感じずに済む。バズってる投稿に対し比較意識を募らせて気に病むことも無いだろう。
しかれども、そのコンセプトの奥に潜んでいる業は存外に深い。つまり、どれだけ静かさを謳っていても、求められるのは結局「インターネット」なのだ。完全なる静寂……個人の日記帳ではダメなのだ。みな可能性が残されていることを内心では望んでいるから。何の? 無論、自分の文章が、誰かしらに読まれ、何かしらの影響を与えうる可能性だ。
それは感涙や価値観の転覆といった大げさなものじゃなくていい。ただ伝われば、そしてほんの一時の思案の種にでもなってくれればあまりに十分な程度の、些細な影響である。個人の日記帳如きで、ともすれば傲慢な発想かもしれない。けれどもそれは、創作者の誰しもが捨てきれない淡い期待だ。
今一度、インターネットに自分の文章を公開することの意味を再考するのだ。備忘録だろうが思いつきメモだろうが利他性皆無の独白だろうが、あるいは「文章を書く練習」みたいなしょうもない予防線を掲げていようが、本物のスタンドアロンな日記帳にはなり得ないのだ。ネットに文章を晒している時点で、外界のどこかへ緩く投げかけ続けたいという願いがない訳がない。自分用に書いた物を晒すだけならタダだから。そんな建前の陰で、それでも幾ばくかは期待してしまうのだ。曲がりなりにも自分の胎から吐き出された取るに足らない言葉の一つが、誰か一人にでも届くものがあれば儲けもの程度の、まるで副産物みたいに言い聞かせている核心だ。
無論、誰もが「教室で好き勝手自由帳に絵を描いてたら、たまたま通りかかったクラスメイトが覗き込んで褒めてくれる」みたいな、蜃気楼が過ぎる理想の創作スタンスを維持できるとは限らないだろう。PV数のような目に見える成果を燃料として心にくべる日もあれば、その伸縮に一喜一憂する日もあろう。
けれど、他者の反応に固執するあまり、数字を意識し過ぎてしまう、価値あるものを書かねばと気負い過ぎてしまう、果ては創作者同士が返報と相互扶助を前提に営業活動を通して承認を補完し合うなんて様は、流石に不健全で、本末を見失っている感じが否めない。
だからその呪い──賑やかなSNS疲れ──から脱却するためのアイデアとして、しずかなインターネットに身を置くのは全然アリな選択肢だとは思う。
だが、それはあくまで補助輪としての役割に過ぎない。本当に大事なことは、メディアが賑やかなのか静かなのか、という環境の問題ではない。自分自身が「気負わずに好き勝手書くから、好きな人だけ勝手に読んでくれよ」という心構えを持てるかどうかじゃないだろうか。
逆に言えば自己暗示でもなんでもその心構えを確乎不抜に抱けるのなら、人目に触れやすそうなのはnoteの方なので、やっぱnoteで良いんじゃないかなあとも思う。
余談 最後に個人的なこと
Q. 何ですかこれは?
A. Google Keepに保存されているメモ(noteの下書き等)の数です
気負わずに好き勝手書いた結果がこれだよ。流石に、ちょっと、病的である。思考もメモ書きもすぐ歯止めが効かなくなるんだから、多少は気負った方が良いよ。
という訳でアホ多いメモ数を少しでも削減すべく、しずかなインターネット、はじめていました。ちょうどゲーム系のアウトプットを習慣化したいと思っていたんだ。それ以上に、とりあえず新メディアに触って見たさもあった。勿論noteも並行して続ける。
こっちでは5分程度で書くゲーム関連のボヤきを毎日投稿しています。無制限だと幾らでも書き過ぎてしまうから、毎日1記事とはノルマではなく寧ろ枷である。
ま~じで毒にも薬にもならない個人的な雑感でしかないので、いつか飽きて辞めてしまうかもしれない。そんな時は「noteで読み専っぽいアカウントにスキ貰った時はちょっと嬉しさの純度が上がるよね」みたいなことを浮かべながら、またインターネットに自分の文章を公開することの意味を考え直しているのだろう。
後日追記:飽きたので辞めました。