子どもと『いつか』やろうと思っている遊びは、『今』やる。
いつか、子どもと一緒にやろうと思っている、あの遊び。
その『いつか』はもう、訪れないかもしれない。
今日習い事に出かけるついでに、通り道にある大きなお寺の境内で、どんぐりを拾おうかと、娘と話していた。
現在年中の娘は、自然の中で遊ぶのが大好きで、自然物にも大変興味があり、昨年の秋もたくさんのどんぐりを拾った。
その時は、3つ上のお兄ちゃんが一緒だった。お兄ちゃんも好奇心旺盛やる気満々、2人ともチャック付き袋にいっぱいのどんぐりを拾って、ついこないだまで玄関に置いてあったのをようやく処分したよな、とよく覚えている。
それに、数週間前行ったキャンプ場で、自然が豊かで木の実がたくさん落ちていて、子供たち2人で100個以上のどんぐりを集めたことが、記憶に新しかった。
だから私にしたら、小2の息子も年中の娘も、どんぐりを拾うのはすごく楽しいんだろう、という感覚でいた。
そして娘もまた、その感覚でいたのだろうと思う。
今日どんぐりを拾うことを私と約束した時に、当たり前のように『お兄ちゃんも一緒に行く』と思っていたようだ。
実は私は知っていたが、娘が習い事に行く間、お兄ちゃんは夫とランニングする予定になっていた。娘に言うと習い事に行きたくないと言い出しそうだったので、伏せておいたのだった。
娘と私が家を出る段になって、娘が自分からチャック付き袋を準備して、意気揚々と出かけようとする。
ちょうど外で遊んでいた息子が、娘に「いらっしゃーい」と、軽く声をかける。
娘は内心、面食らったはずだ。
家から少し歩き出したら止まってしまい、「お兄ちゃんがいいぃ〜…」とつぶやいた。
私はそのとき初めて、娘の気持ちに気づいた。そうか、息子と一緒に行くと思っていたのか、と。
ダメでもともと、息子にも念のため聞いてみた。
「妹ちゃんが、お兄ちゃんと行きたいんだって〜」
私にしたら、息子にとっても、どんぐりを拾いに行くことは楽しいから、ちょっと誘惑したらもしかしたら来てくれるかもしれない、と甘く見ていた。
しかし、私の思惑は、大きく外れた。
息子は、「行きたくない」と言った。
娘は悲しそうだった。最後には、泣き出してしまった。
だけど、そのうち気持ちを落ち着けて、自分から歩き出してくれた。
そのあと、習い事に行く前に、どんぐりをたくさん見つけて拾うことができた。
私は、どんぐり拾いに勤しむ娘を眺めながら、少し泣きそうになった。
だんだん息子と娘は、一緒に遊ばなくなる。
どんぐり拾いが楽しくなくなり、娘と公園で遊ぶことにも刺激が足りなくなり、同世代のお友達と遊ぶ時間が増えていく。
ふと思い出した。
昨年秋、木の実を使った工作の本を買ったな、と。
どんぐりや松ぼっくりなど自然の実を使って、お人形やハロウィン飾り、クリスマス飾りなどを作ることができて、子供達と一緒にやってみたいなと思った。
でも、どんぐりなどの木の実は虫がわかないように下準備が大変な印象があって、結局やらなかった。
またいつかやろう、と思っていた。
でも今日、どんぐり拾いにそんなに興味がなくなってきた息子を前に、気づいた。
その『いつか』はもう来ないかもしれない、と。
だから今年は、やろう。子供とやりたいと思ったことは、『今』やろう。
まだ一緒にできると思っていても、もうできないかもしれないから。
子供達の遊びは彼らの心身の成長とともに、変化していくものだから。
というわけで、
どんぐりの工作、今年はやります。
では、今日はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました!
hona
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