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〖チャップリンやドリフターズ〗悲劇を喜劇に変える視点
読んで頂きまして、ありがとうございます。
echikaさん、おしゃれな画像ありがとうございます!
最近、珍しい月をよく見ました。
太陽のような、オレンジ黄色の温かみのある月。
大きな大きな星のような、キラキラしている満月。
そして昨日も素敵な月を見ました。
昨日は一粒万倍日、天赦日最強開運日
何かが起こるのだろうか?
何かしたいな、と思ってはいました。
一粒万倍日は、大安に2つの吉日が重なったとても縁起の良い日です。「一粒の籾(もみ)をまけば、万倍の籾を持った稲穂になる」という意味があり、大きく発展したいことを始めるのに適した日です。
天赦日は「天が万物の罪を赦(ゆる)す日」とされ、暦の上で最上の吉日、何事もうまくいく最良の日といわれています。
でも、実はショックな悲しい出来事があったので、気分転換に娘と温泉に来ていました。
そこで温泉につかりながら
満面の笑顔を私に向けてくれているような月を見ました。
温泉で、娘と話をして諭されて
客観的に今回の出来事を思えるようになり
温泉で気持ちもよくなり、次第に心が落ち着き、和みました。
そんな流れで塩サウナに入った後、ベンチで横になり、整えていると
突然
パシャパシャパシャとお湯が、何度も顔にかかりました。
他の人が塩サウナで塩を流すために、おけを使って流すお湯が、ベンチで横になっている私の顔にかかっていたのです。
この向きではいけないと顔の向きを変えた後、この状況は、コメディみたいと一人で笑ってしまいました。
そして娘にも「こんなことがあってね。コメディみたいだよね。ママそこにいたらこうなることにも気づかず横になっているなんて、ボケてるよね~」と笑って話ました。
話しながらふと
もしかしたら、捉え方次第で悲劇(嫌な出来事)は、喜劇になるのかもしれないと気づきました。
悲劇は喜劇?
悲劇とは、痛ましい出来事をきっかけに、困難な状況や立場に追い込まれ、不幸な結末に至る劇。 喜劇とは、こっけいな出来事をきっかけに観客を笑わせながら、人生の種々相を描いた劇。 悲劇と喜劇のちがいは、いろいろな出来事の後に、不幸な結果に終わるのか、それとも楽しい結果になるかのちがい。
チャップリン、ドリフターズ、吉本新喜劇
三谷幸喜さん、宮藤官九郎さん
悲劇を喜劇にしたりして、笑わせてくれている。
悲劇とは、痛ましい出来事をきっかけに、困難な状況や立場に追い込まれ、不幸な結末に至る劇。 喜劇とは、こっけいな出来事をきっかけに観客を笑わせながら、人生の種々相を描いた劇。 悲劇と喜劇のちがいは、いろいろな出来事の後に、不幸な結果に終わるのか、それとも楽しい結果になるかのちがい。
例えば、1つのカップにコーヒーが入っているとします。
もし、カップの中のコーヒーしか見えていないと、すべては真っ暗に見えて、飲むと苦いとしか感じられません。
少し視野を広げて、これはカップに入っているコーヒーだと認知できれば、コーヒーの苦みが美味しいと感じられます。
もっと視野を広げて、喫茶店の中のコーヒーだと認知できれば、別メニューの紅茶を頼むことだってできます。
狭い視野でコーヒーだけしか見えないと悲劇だけれど、視野を広げれば好きな飲み物を選べる楽しみが見つかる。
「なんだ、世界が真っ暗なのではなく、真っ暗なサングラスをかけていただけだったんだ」と気づいたとき、悲劇は喜劇に変わる。
悩み落ち込んでいるときは視野が狭まっているため、すべてがダークに見えてしまい悲劇的な気持ちになります。
コーヒーを自分が苦手なもの、辛いと思っているもの、悲しいと思っている出来事に当てはめたら、いろんな捉え方や視点ができるような気がします。
人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。
人生に必要なもの。
それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。
~チャップリン 映画「ライムライト」のセリフより~
人はだれしも、何か良くないことが起きると感情が先立ち、そのことは悲劇的な出来事と決めつける。
しかし本当にそうだろうか。
「あのことがあったおかげで…」ということをよく耳にする。
悲劇と思ったことが実は、その後の人生を好転させるためには必要不可欠な出来事だったということは往々にしてある。
大切なのは、起こった出来事をどう次につなげていくか、ということ。
今この瞬間に起こったことは、次の瞬間にはすでに過去のことになる。
そうやって物事は過ぎ去るのだし、命の時間も減っていくのだ。
話を私の喜劇に戻すと
そして、お湯がパシャパシャ私の顔に当たった話に戻すと、この出来事は私にとっては悲劇ではなくなぜか可笑しい喜劇でした。
私の気持ちに余裕があったからそう思えたのか?
相手に悪気がないことがわかったからそう思えたのか?
自分でも理由はわかりませんが、喜劇(面白い出来事)だと思いました。
だから、ショックな悲しい出来事だと思ったことも、よく考えると喜劇に変えることができるのかもしれないと思いました。
そして以前こんな記事も書きました。
私は昔、お笑い芸人になりたいと思っていたことが、ほんの少しだけありました笑。だから普段もつい、ボケるのが好き。ツッコミがうまい人に出会うと嬉しくなるところがあります。
チャップリンだけでなく、ドリフターズのたらいが落ちてくる有名なシーンも、例えばたらいではなく、突然何かが落ちてきたら悲劇とも捉える人は多いのではないでしょうか?
人のこと(喜劇、コメディ)だと思うと、笑うこともできるけれど、自分のことだと違う感情がわいてくることがある。渦中だと自分では今の状況を冷静に捉えられないものです。
↑この動画ほっこりします!笑いはやはり癒しだと思います。
悲しい出来事をドラマの悲劇のヒロインとして、演じてもいいけれど
喜劇にして、笑った方が面白い。
悲劇と喜劇、どちらを選ぶかは自由、好みです。どちらの劇にも参加せず、傍観者という選択もあると思います。
星野源さんは、「喜劇」の曲を作っているから、悲劇より喜劇を選ぶ気がします。
※「喜劇」この曲大好きです。
あと
noteの創業者、加藤さんも喜劇が好きだと思います。
おもしろいことをすることこそが、人間の生きる意味だとぼくは信じています。
それと
私はよく笑います。一人で何かの記事を読んだりドラマを見たりして笑ったりしています。
困るくらい笑い上戸なので、あまり笑わないように気をつけているところもあります。
そして
元々ぬけているところも多いですが、自分でも笑ってほしくて、ついボケてしまう癖もあります。
だから悲劇のヒロインになろうとしても
どうやっても、喜劇になってしまうのかもしれません。
降りかかる災難は喜劇。
すれ違う感情も喜劇。
怒られることも喜劇。
今生きている人生も喜劇。
喜劇としての捉え方もあると思います。
noteがあるおかげで、いろいろ整理しながら、書きながら、勉強ができます。
そして、自分が読み返したくなるような
好きなページを増やすことができています。
それは
楽しいこと。幸せなこと。
本当にnoteに感謝です。
いつか喜劇を書いてみたいです。
私の実話、喜劇だと思う記事です。
最後まで、ありがとうございます。