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〖俯瞰〗について考えて、優しさで心が温かくなった。

読んで頂きまして、ありがとうございます!

この富士山の画像素晴らしいですよね!みんなのフォトギャラリーに画像を提供してくださった「うみやまさん」ありがとうございます!^^


「俯瞰してみる」


難しいと思っていました。

でも、できていました。たぶん。

俯瞰の意味は

高い所から見下ろし眺めること。鳥瞰。「ビルの屋上から市内を―する」
(比喩的に)広い視野物事を見たり考えたりすること。また、ある事柄状況に対して客観視すること。「自分自身を―してみる」

もちろん、すべてに俯瞰しているわけではないですが

よく行く公園の木とお話していたら、わかりました。

俯瞰の捉え方が違うのかもしれませんが

私は木を俯瞰して見ている。

一つ一つの木とお話ししていると思ったら、木全体とお話ししている。

一つ一つの木にこだわっていない。

あの空気感、全体の木とお話をしていました。

話しは逸れますが
いつか「木に教えてもらったこと」という絵本も出したいです。^^

ここの説明は難しいのですが

みなさんも、自分の感情が入らない

例えば感情を感じない物や人に対して

誰しも俯瞰しているところはあるように思います。

前に書いた、コップの水理論も俯瞰した気持ちだと思います。


俯瞰とジャッジは反対?


あくまでも私の考えですが

一つ一つの出来事を良い悪いで判断するのがジャッジで

全体を見てそういうものだと知るのが俯瞰かな?と思いました。

世間で騒がれていること、周りで騒がれていることに対して、一緒になって一喜一憂するのではなく、一歩引いて全体を見る。

日本として
女性として
男性として
世界として
宇宙として

今の出来事がどういうものなのか?考えてみる。

そう思うと、一喜一憂していることは

大したことではないことかもしれなくて

すごく小さなことだとしても、問題だと感じてくることもある。


そうやって時々、俯瞰してみる癖をつけると、今そして世界を落ち着いて見ることができるのかもしれません。

私もいろんなシーンで、俯瞰を意識してみようと思います。

自分とは違う世界?


俯瞰とは違いますが、困っている人がいても見て見ぬふりをする。

自分とは違う世界のことだから、と。客観視している。

「見て見ぬ振り」という慣用句的な表現は、「実際にはある出来事(状況・物事)を見ていたのに、それを見ていなかったかのように振る舞うこと」を意味しています。

「見て見ぬ振り」というのは、「実際には見ていた状況・出来事・問題について、見ていなかった振りをすること」を示している言い回しなのです。

また「見て見ぬ振り」の表現は、「実際には悪事・犯罪・問題を見ていたのに、それを咎めず(とがめず)に見過ごすこと」といった意味のニュアンスも持っています。

これは俯瞰した目で、全体を見るとすこし困った問題なのかな?と思いました。(あくまでも私の考えです)

もちろん、困っている人がいたら

助けている人も大勢います。

席を譲る学生さんや優しい人の姿もよく目にします。

無理をする必要はないですが、困っている人がいて

自分に手伝える力がすこしあったら

サポートしてあげる。

支え合い。

いつだって、自分、自分ではなく。

俯瞰した目で見ると

一人一人の優しさが、優しい地球をつくる。

優しい宇宙をつくる。

そして

優しさは、優しさとなって

自分の周りが優しい世界となるような気がします。

そして、noteを読んでいると

心のきれいな人がたくさんいて、嬉しくなります。^^

うるうるしながら読む時も多いです。

こういう人たちが

優しい世界をつくってくれる、と心が温かくなります。


何もなくても幸せ


これも俯瞰している優しい気持ちな気がします。

この俯瞰した気持ちが軽くて、自分が自由になれる。

優しい世界

優しい宇宙にしたいですね^^

ありがとうございます!











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