
生活
昨今、とあることから自分の日常を振り返ることとなった。日々の生活は何をしているのか?を考えてみる。
すると昔は、テレビも観た、新聞もよく読んだ、音楽も多少は聞いた。服も買ったりしていた…ところが、今はそれらに時間を与えてはいない。
代務寺院があり、仕事移動が増えたのもある。仕事前に毎朝、洗濯機を回し干したり、週に2、3回夕飯を作ったりしている。また、自坊でヨガ教室や太極拳、フラダンスなども開催していることもあり掃除やこまごま雑事をする。
しかし、結局余った時間はほとんど読書に費やしている。朝、4時には起きて積読をやっつけようとするが…積読チャンネル(株式会社 ペダンティック 写真の上部の3冊は積読チャンネルで紹介された本)と出会いさらに首がしまっている。
今読んでいる中で特に興味深いのは、『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』https://amzn.asia/d/fRcss69
であり、その本の帯には
「燃え尽き症候群」はストレスや仕事への
不満を語るときの言葉として流通しているが、
その意味は正確に定義されておらず、激務の疲労や仕事に絶望した労働者の役には立っていない。
本書は「ノーを言えるようになることや
「瞑想する」ことの無意味性を明らかにしながら、仕事が今や私たちの価値観とアイデンティティを象徴するものになってしまっていることを指摘し、そこから逃れるための道を提示する。燃え尽きて大学教授の職を辞すことになった著者によるバーンアウト文化への処方箋。
とある。瞑想が効果的と仏教者はいいたがる。しかし、それは我田引水ではないのか?といつも考えていた。本書はまだ途中までしか読めていないが、我々個人の能力より社会やコミニティのあり方が問題となっている。
仏教でいうなら瞑想という行(行為)よりも律という社会ルールや習慣のあり方が大事という話になるのではないか?
日本仏教の特色に関してはコテンラジオの鑑真編
でも触れられたが、仏法僧の三宝では、僧すなわち僧団、ルールや習慣が導入されなかった。それもあって、社会との関係性を触れがたいのかも、しれない。しかし、都合を外して直視を心がける必要があると思う。
簡単に仏教は現代病の処方箋とするのでなく…しっかり考えたいと思う。