風雪に耐える
ミスチルの蘇生という曲にこんな表現がある
暗闇から僕を呼ぶ 明日の声に耳を澄ませる 今も心に虹があるんだ 何度でも 何度でも 僕は生まれ変わって行ける そうだ まだやりかけの未来がある
白血病を患われた池江璃花子さんが優勝し、オリンピック出場選手となった。あざやかな復活であり、蘇生だと感じる。
最近、コロナ禍にあって明るいニュースのないなか久しぶりに手放しで喜べる出来事だと思う。
病気で苦しまれた方、苦しんでいる方への希望の象徴であり、復活が希望を与えてくれたと思う。
優勝写真をみながら感じたのは、風雪に耐え、超えていこうとする美しさだと思う。年齢以上に大人の顔だと感じた。壮絶な苦しみがあったんだろうな…と感じる。
さて、大人の顔の話で思い出したのは…こちら
での塩野七生が中田英寿に伝えたという以下のコメント
マイケル・ジョーダンだってデビュー後まもなく、すぐにそのような顔になって、三十五、六歳でやめたときには五十台後半の顔をしてましたよ。そういう顔にならないと、チャンピオンにはなれないと思う」と言ったの。
スポーツというストイックに自分を極めていく世界、余人には伺い知れない重圧に耐え、勝つ。それは何かを捨て、捨てることにより得ていく世界なのだとおもう。
では、出家者と科学者の共通点を指摘する中で
世俗にいたのではとうてい成し得ない高尚で深遠な目的にチャレンジし、実際に答を出してくる。その足取りが一般社会から見れば、ある種のヒーローに見えます。(116頁)
と述べ、野球選手も出家的人生を歩んでいると言います。野球選手はスポーツ選手ですから、水泳の池江璃花子さんにも通じるでしょう。
普通の19歳や20歳の女性が体験する経験ではないし、競技をあきらめる選択だってあったはずだと思う。それでも競技にもどり生きていく。ある種の出家的生き方なのではないでしょうか?
『スッタニパータ』でブッダは
最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力を具え、犀の角のようにただ独り歩め。
悟りに向かう出家者のあり方を述べたものだが、犀の角のように真っ直ぐに歩んでいくことを求めている。
池江璃花子さんはひとりではなく、周囲の援助があったんだろう。しかし、歩き続ける決断をし、実際に練習し成し遂げるのは本人だけだと思う。
そう思うと、自分は足りないことばかりで、能力不足を感じます。しかし、投げ出してはならない。努力はしつづけないと思わせて貰った。
まずはブッダの言葉をもう一度読もう!