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コロナと震災

コロナをどう受け止めるのか?という話から『立正安国論』の話が出てきている。

あたかも、東日本大震災の後の震災を天罰とるかいなか?の様に…

あの折は現代宗教研究所の研究員として下記の文章を書いた。


業としての問題は上記の文章でダライ・ラマ『傷ついた日本人へ』を引用し触れているが、「人類全体の因果応報」(170頁)とも言えるかもしれない。

風雨災害とコロナ禍

台風被害にせよ。豪雨被害にせよ。「社会全体としてのカルマ、世界共通のカルマのレベルの出来事だあり」(169頁)その点では、震災やコロナと同じと言えると思います。

但し、コロナは一国の問題でなく、世界各国の問題であり、共通認識を構築しやすそうに見えます。しかし、その原因はこのブログでも紹介した中島岳志氏「利他的であるということ」でも紹介されたパオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』の以下の文章が大事である。

「環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。病原体にしてみれば、ほんの少し前まで本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが。森林破壊は、元々人間なんかいなかった環境に僕らを近づけた。とどまることを知らない都市化も同じだ。多くの動物がどんどん絶滅していくため、その腸に生息していた細菌は別のどこかへの引っ越しを余儀なくされている。」(65頁)

すなわち「環境に対する人間の攻撃的な態度」「森林破壊」といったものであり、広義で考えれば「気候変動」も含まれた問題の中にあることが、明確である。

ナショナリズム

ところが、この気候変動の問題は、常に問題となるも解決に至たらない。地域が限定的であり、ある意味世界的共通認識の難しさが存在している。ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』では、

ナショナリズムに基づく孤立主義は、気候変動に関しては核戦争よりなおさら危険かもしれない。全面的な核戦争が起こればすべての国が破壊されかねないので、それを防ぐことはあらゆる国にとって等しく重要だ。それに対して地球温暖化の影響はおそらく、国ごとに違うだろう。じつは、温暖化によって得する国もあり、その筆頭がロシアだ。(162頁)
地球温暖化の問題に対しては国家レベルでの答えはないので、ナショナリズムを信奉する政治家のなかには、この問題が存在しないと信じたがる人もいる。(163頁)

ハラリの上記の意見は、今後の問題、コロナ問題のみならず、環境問題、風雨災害被害等に相当に関連してくる問題であろう。

WHOのアメリカの脱退もナショナリズムの問題の一端だと考えれば、協力が必要不可欠なこの時代の要請に逆行しているともいえる。(WHOも公正性を問われるのは、ある意味当然であり、常に第三者機関によるチェックが必要なのは言うまでもないが・・・。カントの『永遠平和のために』もこの点は述べている。)

と愚痴のような文章を述べてきたが、これからの世界、これからの社会はいづれにせよ政治の機能のチェツクが大事になる。選挙運動の問題は確かに大いが、それ以上に世界的危機に瀕している我々は、民主主義の良さ、参政権の大切さをよくよく考える必要があると思われる。

宗教を超えてリアリズムの中で

この点こそが、鎌倉時代の日蓮聖人の『立正安国論』述作の要因ではないだろうか。あの時代には参政権がなかったが、我々にはある、ただ神仏に願う、すがるではなく、選挙に行く、環境に優しい生活をする。危機的状況の同朋に募金する、コロナ禍においてはソーシアルディスタンスを守る、なるべく人の迷惑をかけないといった日々の生活を大切にするべきなのだろうと思われる。

それって少欲知足に基づくもので基本に立ち返るだけですね。でもそれも言うは易し行うは難し

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