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今を生きよう

加藤諦三さんの『「大人になりきれない人」の心理』を読んだ。凄い本だった。

加藤節でグサグサ刺さる本だろうなあと想像していたが、加藤さんが本を書いた目的として「五歳児の大人が自分の人生の目的をつかみ、追いつめられた感情から解放されれば、と思っている」と書かれていたので、読んでみた。

正直なところ、加藤さんの言葉は色々なところで目にしてきたので、内容にそこまでの目新しさはなかったが、それでも加藤さんの論がコンパクトにまとまって読めるのはありがたかった。

また加藤さん自身が、過去「五歳児の大人」であったことは知らなかった。だからこその、あの他の人とは一線を画す強い言葉で訴えるのだと理解できた。

そして何よりも”凄い本”という感想になったのは、本の終盤で綴られた、強い言葉だ。
少し引用させていただく。

五歳児のあなたは、何度も「今に生きる」と書くのだ。自分が納得するまで「今に生きる」と書くのだ。自分の恵まれない過去に囚われ続けて、今を犠牲にしてはいけない。
そしてひざまずいて天に祈るのだ。「私の憎しみを持ち去って下さい」と。天に向かってそう祈るしかない。
(中略)
それはあなたの決断である。それこそが生きるか死ぬかの、五歳児の大人の決断である。自然は五歳児の大人の決断を待っている。それが人間の自由というものなのである。自由とは、したいことをすることではない。
生きるか死ぬかの時に決断できることを人間の自由と言う。あなたが決められる。

加藤諦三『「大人になりきれない人」の心理』pp.225-226

「今に生きる」という言葉があり、自分が小学生の卒業文集に書いた言葉を思い出した。
一文字違うが、「今を生きる」だった。
なぜそんな言葉を書いたのか、当時の心境はわからない。そこまで深い意味はなかったかもしれない。なんかカッコいいな、というファッション的な感覚だったのかもしれない。
以前は、小学生なのにちょっと気取って、インテリぶって、面白さも可愛らしさもない言葉を書いてしまう、自分が嫌だった。恥ずかしかった。
「今を生きる」と書いた自分が嫌でしょうがなかった。

どんな気持ちであの時書いたのだろう。なんかいいな、と思っていたのは、違いないだろう。
小学生の頃は、まだ自分があった。やりたいことや、自分なりのセンスを外に発揮していきたい、という前向きな欲求があった。
でもそれを発揮すると、友達に引かれている感覚を徐々に感じ始めていた。
友達に飢えていて、中学になってから、どんどん自分を殺し、周りに媚びるようになっていった。

そんな小学生の自分が書いた「今を生きる」という言葉が、思いがけず今の自分に語りかけてくる。

今を生きるのだ。今を生きよう。

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