時が遅れること

我が家の居間の時計は

骨董の柱時計だ。

月に一度はゼンマイを

巻かないといけないけど、

カチカチという

振り子の音は

風情があって大好きだ。


時刻を告げる音は

ボーンボーンと

大きく響いて

それもまたいいけれど、

我が家の柱時計は

日増しに遅れていく。

1週間で5分は遅れる。


正確に時を知らせる。

それが時計の役目だと

言われるわけだけど、

我が家の柱時計は

遅れてもいいじゃないか、

そう思わせてくれる。

それがゆとりになるからだ。


1分1秒正確だなんて

あまりに窮屈すぎる。

ギスギスとした暮らしに

なってしまうと教えられる。

時間なんてある程度

正しければいいじゃないか、

アバウトに暮らそうよと。


我が家の柱時計は

時刻を遅れていくことで

ゆとりを持って暮らしなさいと

そう言ってくれている気がする。

ゆったり暮らしなさい、

のんびり暮らしなさいと。

ほんのりまったりである。