自分が日々に死んでいると理解しているか
この間の金曜お楽しみ哲学クラス(金曜夜1時間)から、
大好きなセネカの哲学を読んでいる。
私がセネカの本の中で1番好きなのは、道徳書簡集 なんだけれども
既に絶版で手に入れようとすると、58,000円!!
お願いだから再版してほしい!!
どうしたら手に入る〜〜??
それはおいといて、、
私が取り上げたところ、 一部抜粋してみよう。
*これまで君から奪われ、盗まれ、こぼれ落ちていった時間を拾い集め、それをしっかりと守れ。
事実は僕が言う通りなのだと信じるがいい。
時間のあるものは、我々からもぎ取られ、あるものは横領され、
あるものは虚しく流れ去ってしまっている。
中でも、最もすべきは怠慢による喪失だがね。
そして、気をつけてよく見るならば、
人生の最大の部分は悪事をしている間に、
大部分は何もしないでいる間に、
そして全人生はどうでも良いことをしている間に、
すぎてしまっていることがわかるだろう。
君は僕に誰か、
時間に何らかの価値を置く人を、
1日を大事にする人を、
自分が日々に死んでいると理解している人を、
挙げてみせることができるかね?
と言うのは、死は前のほうにあると思うこと自体が間違いなんだ。
その大部分はもう後ろのほうに行っているのだ。
(セネカ:現代人への手紙:中野孝次:岩波書店 ¥1800+税)*
私たちはよく「毎日を精一杯生きる」と言う表現をするが、セネカは
「日々死んでいると理解している人々がいるか?」と言っている。
急には、ピンとこなかった人たちも
じわりと考えてみると、 私たちがノーテンキに
オセロの番を白で埋め尽くしていると思ったら、実は
白○を→黒⚫️にひっくり返し続けているのだということが、
イメージの中で湧いたとき、あまりのことにぞっとするだろう。
私自身は、還暦を過ぎているんだから
オセロの面の半分以上は、真っ黒になっている。
なぜ、こんなことを、こんな当たり前のことを考えずに
今を生きないで、明日は何しようかなんて考えていたのか。
こんな風に、真実を突きつけられて
ざわざわするのが快感なのが、私たち学徒です
あなたもこの仲間に入りたいですか?
ざわざわしますよ〜⚫️⚫️⚫️