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ホモ=レリギオスス(アフリカ大陸で起きた異常現象についての報告)

※残酷な描写があります
※一部事実に基づくフィクションです。

ジンの日記より

場所:アディスアベバ(エチオピア)→日本

人類の故郷、アフリカ大陸。
アルチュールランボーが放浪していたころ、アフリカのエチオピアに留まっていたことがあった。
俺が日本から遥々エチオピアに行ったのは、ランボーが主な目当てだったのに、あんな化け物をこの目で見れたのはとんだ棚ぼただった。

日本から17時間、アディスアベバのボレ空港から出て岩窟教会に車で向かう途中、窓から夕焼け空に浮かぶとんでもないものが見えた。
直径で上空にタンカー船を五十隻くらい並べたくらいの大きさの、首がない二人の天使だった。
旧約でソドムとゴモラが滅ぼされるときに現れた天使たちを彷彿とさせ、彼らが持っている木片には字が書いてあった。

אלי אלי למה שבקתני

(木片の文字)

一緒にそれを見ていた運転手は白い目を真ん丸にむきだして驚いていた。
そして手で十字架を切ってアムハラ語で何か叫んでいた。
そのときはもう薄暗くなってきたので真っ暗だったが、いきなり現れた天使たちは太陽みたいに光って、アディスアベバの上空はもはや真昼間になっていた。

エチオピア高原で現れた二人の輝く天使たちの不気味さと、暗闇で叫ぶ真っ黒な肌の運転手の歯と目が白く光っているのが今でも目に焼きついている。まるで黙示録の世界が頭の中に忍び込んできて、脳味噌の中を天使たちが作り変えているような感覚があった。

その後、南西から聞こえる銃声を聞くと、綿の飛び出たボロい座席の感覚が手に伝わって様々な自分の中の常識が頭の中で天使を押し出した。
俺はなんだか怖くなって、運転手にホテルに早く戻してくれと拙い英語で懇願した。

スケジュールが大幅に変わって予定より早く日本に帰ることになったが、帰国して大学の友達に話しても誰も信じてくれない。
その日の日本の報道や英語圏のソーシャルメディアにも何も書かれていなかったし、いったいあれはなんだったんだ。

ユセフの日記より(原文はアラビア語、AIによる翻訳)  

場所:アレクサンドリア沖(エジプト)

地中海の夜明けといえども、この時期のアレクアンドリアは北風が強く、冷え込む。

水平線の向こうには僕のお爺さんのお爺さん、縁のある親戚が住んでいて、全く違う宗教を持っているからおじさんは僕にユセフ・ミカエルなんていう名前をつけたんだ。

僕はここから北風の先にあるヨーロッパを眺めるのが好きだった。
僕はヨーロッパやアメリカに憧れていた。
僕が子供の頃、モニカというアメリカの軍人がアレクサンドリア港に来て、その人が僕の初恋の人だったからだ。

僕が沿岸警備隊で大尉になってから何日経ったか、そして僕たちの国がエチオピアと交戦を始めてから何ヶ月経ったんだろうか。

あれはちょうど一年前の同じ日。
僕がまだ中尉だったとき、ナイル川で放棄されていた大量のマリア像が僕たちの警備船にノックした。
まだ顔が壊れていない破片を銃のストラップで引っ掛けて、甲板にあげると、マリア像の目から嗅いだ覚えのある赤い液体がずっと流れていた。

それは夜のことで、異常なくらい光った金星が僕たちの船を照らしていたので、液体が人の血だとすぐにわかった。
しかしどう考えてもおかしい。
僕が大学で学んだのは、血は骨髄などにある造血幹細胞から合成され体内を循環するということだが、なぜこの一見セラミックでできた像から血が止まらないのか。

その日から、ナイル川は赤く染まった。
マリアだけじゃなくてピエタ像やダヴィデ像の残骸も上流のエチオピアから流れてきて、魚は死に、農業は困難を極め、エジプトの第一次産業は壊滅状態になった。
政府は酸化鉄によってナイル川が赤くなったと説明したが、大量の聖像については何も説明はなかった。

そしておかしなことは重なるもので、大統領は二日後にエチオピアに宣戦布告した。
わが国がイスラエルでもなくエチオピアに宣戦布告したのだ。

まだアレクサンドリアの海が平和だったとき、僕は甲板の上で英語の短波放送ラジオを聴くのが好きで、深夜に変なニュースを聞いたことがある。
アメリカの最新探査機が冥王星で地下海を発見して、そこになぜかエチオピアの巌窟教会に似た建造物やペルム紀末、数億年前の大量絶滅寸前の地球の海の生態系が見つかったという。

僕は大学では宗教人類学を学んだし、イーサー(イエスのアラビア語での呼び方)やキリスト教に関係した論文を書いたこともあるから様々な他の考え方にも理解はあるが、どうやらあの探査機の発表からみんなおかしくなったみたいだ。
もはや何を言っているのか理解ができない言説を沢山見るようになった。
そして僕は今、単なる中級士官の軍人だが、正直、明日にもこの世界の熱狂に殺されて、みんなから忘れられたり、僕たちの死を陰謀のタネにされてもおかしくはないだろう。
僕は今、人生で一番、自分の主、アッラーを必要としている。
インシャッラー。

マリアの日記(原文はスペイン語、AIによる翻訳)

場所:シナロア州(メキシコ)?

ここにはサルバドーレ、救世主の光も時にして届かない。
メキシコには秩序がない。
秩序は信仰だから、往々にして失われる。
私が息子を失ったのは一年前の今日。
いや、失ったんじゃない、私が殺した。
何度も思い出す度にパードレに告解しても自分を許せずにいる。

エル・カルテル・デ・サンタムエルテは、アメリカの支援で巨大化したカルテルだった。
この国の行政は腐敗しているのは当然、警察や政治家がカルテルのメンバーだから、サルバドーレ気取りの政治家が現実を変えようとしても、三日後にはそいつの娘の首が自宅の玄関に転がってるだけ。

アメリカの大義名分はこうだ、「行政が腐敗しているなら自警団に権力を持たせればいい」。
スペイン語もわからないアメリカの政治家は、そうやってカルテル化する民間の自警組織を巨大化させた。
しかしおかしなことに、CIAがカルテルを支援する一方で米国防省はメキシコ陸軍を支援しているのだ。
あいつらは自分たちが何をしているのかもコントロールできていない。

当時、私はカルテル・デ・サンタムエルテの会計を担っていた。
私はハメられて横領の容疑をかけられ、ボスのミゲルに拘束され、何ヶ月も監禁され、様々な男たちが毎晩やってきた。
知っている顔もいれば、知らない顔もいた。

そうやって獄中で息子が、ホセが生まれた。
劣悪な環境で、父親がわからなくても、私はホセを産もうとした。
私は聖書の中ではキリストの父ホセ(ヨセフのスペイン語発音)が好きだったから、息子にホセと名付けた。

意外にも犯罪組織に加担していた私は信心深く、ホセが生まれる前はいつかこの汚穢に満ちた罪深い生活から離れて修道女になりたいと考えていた。
父は私が小さい頃、よく教会に連れて行ってくれて、私のマリアという名前も父がくれたものだ。
ヘス・キリスト(イエスキリストのスペイン語発音)の育ての父ホセは、キリストの母マリアの父親がわからずとも、その子であるキリストを育てようとした。
父が殺される間際、父は私と血が繋がっていないと言った。
私の父もホセという名前だったから、私はそんな父が大好きで、息子にもホセと名付けた。
私にとってはあの人が私の父親だ。

あの悪魔、ミゲルがホセの父親であった可能性もあったが、私は父の言葉を思い出して、ホセを愛した。

父は、キリストの父が生物学的な次元ではローマ兵であった可能性について度々口にしていた。
聖書と信仰は言葉(ロゴス)による世界なので、キリストは間違いなく神の子であるし、聖霊により聖マリアの処女懐胎として宿ったということは間違いない。
しかし円柱が真上から見れば円だが横から見れば四角であるように、信仰とは異なる生物学的な可能性があるのも事実と父はよく言っていた。
父は科学者だったからだ。

父が死ぬ寸前、私は父と警察官か修道女になると約束をした。
父は孫の顔を見たいと言って警察官になれと私に言ったが、まさかカルテルの会計になるなんて。
父がいなくなったあと、妹たちを養うために私は自警団に入った。
そのときの私は自警団が本当に自警をするものだと思っていた。
今思えば本当にバカだった。

でも私の息子、ホセには犯罪者ではなくてキリストのように生きて欲しかった。
他でもない主が、父親がわからずともわからないとは言わずに神の子であったように、ホセは洗礼を受けてクリスチアーノ(キリスト教徒)になれば、父と子と霊の名によってキリストの子となるから、生物学的に父が誰であるかなんてどうでも良かった。

ホセはよく泣く子で、ある日、ホセの声を聞いたあの悪魔、ミゲルがやってきて、檻を蹴って言った。

「このラ・ピュータ(スペイン語で売春婦の意味)が!そのクソガキを黙らせるか、さもなければお前が黙ることになる」

私はホセを包み込むように抱いてミゲルから隠した。
ミゲルはウォッカを深く飲んでふらつきながらバタフライナイフを檻の中に投げてきた。
壁に当たったナイフは私の腿に当たり、血が出てきた。
ミゲルは言った。

「お前の信じている神がいるなら、お前自身とそのガキを助けてみろ。俺は子供の頃、教会の神父にケツを虐待されたから、自分のケツでうんこができない。お前の信じてる神の名によって、俺はうんこができなくなったんだ」

ミゲルは彼の腹についたパックを見せ、その中の汚物を見せつけた。
私は、キリストが共に十字架につけられた盗賊が、彼と同じことを言ったことを思い出して、彼の前で十字架を切った。
するとミゲルは顔を真っ赤にして、何度も檻を蹴り続けた。
ホセの泣く声がもっと大きくなったとき、急にミゲルは蹴るのをやめて笑い始めた。

「わかった、俺も試してみたいことがある。この際はっきりさせよう」

ミゲルは回転式拳銃の弾を全て抜くと、一発だけ弾を込めた。

「俺はロシア人が好きなんだよ。美人の無神論者が沢山いるからだ」

そういうとミゲルは私にその拳銃を投げた。

「それで俺を殺そうとしても無駄だ。俺の腰にはもう一丁拳銃があるし、まあ運が良ければ俺が銃を抜く前に五分の一で俺を殺せるかもな。いや、俺がやりたいのはそんなつまらんことじゃねえ。その銃でそのガキを撃て。一発につき、お前の妹たちを一人解放してやる。四発が空砲なら全員救える。モニカ、あとは誰だったか?まあいい、モニカはスナッフフィルム(娯楽目的の殺人の映像)の材料にして、残りのガキどもは変態どもに売りつける。お前の神がいるなら、丁度四発を空砲にするのは朝飯前だろ。早くやれよ?十秒でやらなきゃ全員死ぬぞ。じゅう、きゅう」

私は息子を神の命で殺そうとしたアブラハム、旧約聖書の物語を思い出し、せめて殺されるモニカだけでも救おうとして、五分の一にかけて、キリストお救いくださいと言って、引き金を引いた。

一発目でホセの脳天に風穴が空いていた。
それが現実だった。
ミゲルの甲高い笑い声が頭に響いていた。

「ムッソリーニが神を試した話を知っているか?“もし神がいるならこの私を雷で打ち殺してみろ”と演説中に言ったそうだ。結局神はムッソリーニを殺さなかったし、教皇領は消失し、ナチスによってユダヤ人は大量に殺され、ドイツとソビエトの間で絶滅戦争が起きた。神がいるならなぜ世界中で子供が虐待され、戦争はいつまでもいつまでもなくならず、貧富の差は決して埋まらない?神に逃げるな。お前の個人的な愚かさがそのガキを殺した。俺たち人間の愚かさがそのガキを殺した。まあ、このスナッフフィルムは高く売れるだろう。出演ご苦労、お前の妹たちにも稼いでもらうよ」

ジンの日記より

場所:関東(日本)

俺は今でもあのアディスアベバの土の匂いと黒人の真っ白な歯の色、そしてあの化け物が忘れられない。

当時、俺は大学に戻って、彼女のモニカに首なし天使の話をした。
モニカはメキシコから来た留学生で、熱心なカトリック信徒だった。
俺がエチオピアに行っていた間には、彼女はメキシコへフィールドワークに行っていたらしい。

彼女に話をしたのは、彼女ならこんな荒唐無稽な話も信じてくれるだろうと思ったからだ。
ソドムとゴモラの話も元々彼女が教えてくれた話だ。

しかし驚いたことにモニカは、変なものでも食べたんじゃないかとしつこく聞いてきて、食べてないというとエチオピアで流行ってる幻覚剤の話を始めた。
いやはや、“神は死んだ”ってか?
熱心なキリスト教徒が奇跡を信じなくてどうするんだよ。

しかし写真を撮ったはずだったんだが、一枚も写真には写っていない。俺は酒も幻覚剤もやってなかったけど。

帰国してから俺は宗教に関心を持って、モニカと教会に通ったり、アフリカ北東の宗教史について重点的に調べ物をしたり、詳しい教授に話をききに行った。

結果、あの首なし天使が持っていた木片に書かれていた文字はおそらくヘブライ文字で、言語はアラム語であることがわかった。
俺の下手くそな模写をモニカに見せたら、「我が神、我が神、なぜ私を見捨てられたのですか?」という意味があると教えてくれた。
どうやら、旧約聖書の詩篇にこの言葉が書いてあるらしい。

首のない巨大な天使が、神に見捨てられたことを嘆く?
おそらく、何か意味があるはずだし、少なくとも説明のできるカラクリはあるはずだ。
でも何も思いつかない。

俺は外国語は得意でも科学がわからん。学部もフランス文学だ。しかしあんな化け物は素朴に非科学的だし、なんでエチオピア政府もあれを公表しないのかがわからん。俺の知ることができることには限界がある。

モニカは面倒くさがりながらも、科学に関する俺の質問に付き合ってくれた。彼女は同じ大学の院で神経言語学を研究しているから、俺よりは科学に明るい。なんでも言語聴覚士という失語症を治す専門の資格も持っているという。

彼女によると天使たちはドーパミン過剰による俺の幻覚としか思えないらしい。モニカにはロマンがない。なのになぜ彼女は神を信じることができる?

ユセフの日記より

場所:アレクサンドリア沖(エジプト)

そろそろ最後のタバコが尽きた。
もう年も終わりでそろそろニューイヤーだというのに、家族にも会えず、相変わらず僕はアレクサンドリアの海からヨーロッパの方を眺めている。

ただでさえ例の一件で第一次産業が崩壊しているのに戦争が始まって、僕たちの給料はなくなり、軍事糧食も支給されないことが増えてきた。

最近、メキシコに住んでる親戚のミゲルおじさんから手紙が来て、僕を心配していた。
ミゲルは僕のお爺さんの兄弟の息子で、僕が小さい頃から僕の好きなアメリカのものをよく送ってくれていて、今でもずっと文通している。
僕の大学の学費や生活費を出してくれたのもおじさんだった。

本当の父は僕にジョセフという名前をつけて英語圏で育てたかったみたいだけど、僕はエジプト人なのだからエジプトの言葉に沿った名前の方がいいとミゲルが言って僕にユセフ・ミカエルという名前をくれた。
幼少期に父が亡くなってから父を持たない僕にとって、彼は父の代わりのような存在だった。

僕が最近耳を傾けているラジオのニュースでは、冥王星の地下海から巨大な首のない天使の残骸が見つかったと言っていた。
一方、エチオピアでは毎日のように虐殺が起きて、便衣兵に対する掃討作戦だという詭弁が罷り通っている。

かつてクレオパトラを通じてエジプトに支配的な影響を及ぼしたカエサルは、“人は見たいものだけを信じる”と言った。僕も熱狂的なプロパガンダを信じられるほど単純であれば、気に病むことはなかっただろう。

考えれば人が死ぬのは戦時だけじゃない。平和にみんなで笑ってハミーム(鳩を米やハーブで詰めて焼いたもの)を食べている最中にも地球の裏側では、何も罪を犯していない子供たちが虐待され、殺されている。いつも目を向けているのが不快だからと単に目を向けないだけだ。

仮にキリスト教のイーサー、イエスキリストが実在するとしたら、彼の光が差し込まない場所の人たちを誰が救う?

アメリカやフランスには僕のいとこが住んでいて、僕たちよりも裕福な暮らしをしている。彼らはキリスト教徒で、もし僕のお爺さんがエジプト人と結婚しなければ僕も彼らみたいな生活をしていた。

国内では飢饉が起きて、FMの国営放送で母親が娘の肉を食べたという報道を聞いた。
一方で、アメリカのラジオでは飢饉については一言触れただけで、気分を切り替えて呑気に祝賀ムードだ。

アル=ラフマーン(慈悲深いアッラー)がまことであるなら、なぜこの世に不平等が存在する?

モニカの日記より(原文はスペイン語)

場所:横須賀(日本)

マリア、あなたは強い女だった。
私があなたの最後の日記を読んでから、あなたがどうなったのかはわからない。

旧約聖書においてヨブは苦しみを通じて信仰を試された。
ヨブの友人たちは苦しみの原因をヨブの罪と決めつけ、真実への理解を欠いた判断により、最も深い悲しみを与えた。

ヨブの友人のようなキリスト教徒はあなたの悲劇をあなたの不信心によるものというかもしれないし、ミゲルのような無神論者はあなたを愚かな狂信者と蔑むかもしれない。

それでも私は、わたしたちの父もあなたも、あなたの子も、この世に生まれたことは間違えではなかったと伝えたい。

もしあなたがまだ生きていて、この日記を読むことになったときのため、その後どうなったかをここに書く。

ミゲルは気味が悪いほどに私に優しかった。
私はスナッフフィルムの材料になんかされていない。
私は隙を見てミゲルから逃げ出し、アメリカのNPOの男に保護されてアメリカの施設で育った。
私が隙を見て盗んだ貴方の日記は、1月1日、ホセが亡くなった日で途切れていた。

施設では週末に医師がトラウマ治療という名目で女児だけを集めていた。
診察室を出てくる女児は暗い顔をしていたので私は診察を拒否していたけれど、私の希望は通らなかった。

物心ついてわかったけど、あそこは助成金を目当てに作られた施設で、管理はかなり杜撰。
志のある職員もいればペドフィリアもいるような場所だった。
結局あそこもメキシコと変わらない。

私は18歳になるとすぐに施設を出て、海兵隊に入った。
最初の任務はエジプト軍のアレクサンドリア沖での密輸摘発の支援。
アレクサンドリアに寄港していたとき、ユセフという少年に懐かれてしまって、彼はしつこくつきまとって拙い英語で話しかけてきた。
ユセフはアラビア語の名前だけど父や姉さんの子と同じ名前だし、顔がどこか父さんに似ているような気がした。
だから少し愛着がわいて、親身に英語を教えてあげた。

その後、私は日本の横須賀に配属され、医官の奨学プログラムで色々な資格を取らせてもらった。
日本ではジンという少年と交際を始め、彼の実家にはよく邪魔するようになった。

ジンとの出会いは口論だった。
彼はわざわざ教会に来て、神父に論戦を仕掛けた。

「なぜ神が存在するなら、この世に苦しむ人間がいる?」

そう言った彼に私は割って入って、私はこう言った。

「貴方が神を信じないのなら、貴方の中には沈黙として存在するでしょう。でも、私たちの心の中には確かに存在する。神は神の約束の言葉として私たちの中に住んでいるから」

彼は定期的に教会に来て論戦を仕掛けるようになった。
私も含めて全人類が罪人であり、キリストが罪人を招かれている以上、教会はどんな人も拒むことはできない。

心を頑なにする彼に対して、私は一つ気付いたことがあった。
彼も何か試練があったのかもしれないということだ。

実際、深く話してみると彼も幼少期に母から虐待を受け、父のもとに逃れたのだという。
そこから何か彼とは深い繋がりのようなものを感じた。
今考えると私たちの関係は少し、不健全なのかもしれない。

私は軍のプログラムを続け、修了した。
私はアメリカに感謝しているけど、功罪の矛盾には私は耐えられなかった。

旅行で長崎の被爆マリアを見た。
なぜキリストの子供が、キリストの子供たちが住む教会の上空に核兵器を落とせる?

その後、私は軍をやめた。
端金の退職金と共にジンの家に居候する形になってしまったけど、彼の勧めと彼の父の支援で彼の大学の大学院に進学することができた。
本当に感謝して、頭が上がらない。

大学院ではアルカエアヘクシスという古細菌と人類の言語や認知の関係の研究に取り組んだ。

私はことばに強い関心があった。
聖句や法律や名前によって人は人であることができる。

人が単なる生化学的な反応を繰り返す炭素化合物ではないのは、ことばがあるからだ。
言葉は人を殺す道具に使える一方で、言葉で愛を伝えることもできる。
光であることばは、闇である現実を照らす。

ジンの日記より

場所:関東(日本)

モニカが俺に何かを隠していたのには薄々気づいてたが、今日彼女の日記を偶然読んでしまった。
スペイン語で書かれているから日記だとは思わなかったと言い訳したいが、半分は俺の好奇心で読み始めたから俺が悪い。

日記は二つあって、もう一つの日記はマリアというモニカの年の離れた姉のものだった。
自分が悪くなったし読まなきゃよかったと、悪いことをしたと、自己嫌悪に陥る。

日記を読むまで、俺にはマリアやモニカがどうしてそんなに神にこだわるのかわからなくて、よく唯物論や、仏教の諸行無常や無我の話をしていたが、なんとも彼女の生き方を否定するような無神経なことをしてたもんだ。

将来モニカとの結婚を考えるなら、彼女を仏教だのなんだの言って説き伏せるよりも彼女の生き方を理解して、肯定して支援するのが夫の役割だと思う。
俺が本当に神を信じることができているのか、単なる形式的な教会への登録なのかはわからないけど、次のクリスマスに俺は洗礼を受ける。

俺の洗礼名はイエスの父ヨセフに由来してジョセフ。
モニカの父と、マリアの子の名前でもある。

ミゲルの日記より(原文はスペイン語)

俺は小さい頃コーラやソーダが大好きでよく飲んでいた。
ケツがイカれてからは、人工肛門の袋にガスが溜まるから炭酸が飲めなくなった。
若い頃、箱詰めのコーラをもらったから馬鹿みたいに飲んでたら友人の前で袋が爆発して、服にうんこが飛び散った。
元々箱詰めのコーラを俺に渡したやつは炭酸が袋を膨張させるのを知っていたみたいで、俺は笑い物にされて周りから軽蔑された。

俺の名前の由来を聞いたことがある。
ミゲル?何が天使だ。

俺にミゲルという名前をつけたのは親父だった。
親父は神父に忖度して神父の虐待を見て見ぬふりをした。
俺の神は物心がつく前に死んだ。

あの神父は、サンタムエルテ(死の聖母)を批判して自殺者は地獄へ行くと言っていた。
俺がこの地位についてから、あの神父のもとに行った。

毎日毎日、皮膚を削ったりバケツで窒息させて遊んだ。
かつてあいつがガキで遊んできたみたいに。

その後、数ヶ月間独房に閉じ込めて毎日俺のクソを食わせた。
独房の中で神父の言語野が衰退し幼児退行が始まった時点で、神父を教会に連れて行き、まるごと燃やした。

俺には今新しい計画がある。
俺の親戚にユセフというエジプトに住んでる子供がいる。
ユセフの学費を俺が肩代わりして軍で出世させ、将校にでもなった頃に売った恩でエジプトの師団や大隊を俺たちの手中に収める。

ミゲルの語源、大天使ミカエルは神に似たものという意味だ。
無論、俺は神を信じない。
なぜなら俺が神だからだ。

モニカの手帳より

私は人類が言語を獲得した瞬間についてある仮説を持っている。
それは共食いによるプリオン病と、アルカエアヘクシスの相乗的な関係によるものだ。

アルカエアヘクシスは、シベリアで起きた集団ヒステリー事件が発端でソ連に発見されたアーキア(古細菌)だ。
ソ連の研究者は2億5000万年前のペルム紀の菌だとしていたが、おそらくシベリアの永久凍土が気候変動やなんらかの理由で溶けて地表に現れたのだろう。

彼らはアルカエアヘクシスは宿主のセロトニン受容体などの神経伝達物質に作用し、シミュラクラ現象(木目が顔に見える錯覚)を強化したり解離を起こしたりする麦角菌に似た菌だと考えていた。

私の仮説では、50万年前、人類は飢饉で木の皮や石や仲間の肉、近くにあるものをなんでも口にする中でアルカエアヘクシスを含み、扁桃体の異常でカニバリズム(共食い)を始め、プリオン病による解離によって有限な音素から無限の文を作る言語の二重分節性が生まれたのではないかと考えている。

原始的な神の概念もおそらくその頃に生まれた。
分節性のない有限な言語から再帰的な構造を持つ言語が生まれたことで、ヒトは神という名を頂点としたオントロジカルな精神を持つ生物となった。

そこから人類はツリーの頂点や構造を押し付け合い、お互いを侵略することを始めたのだろう。
目に見えずとも群れの長という概念に従うことができるようになり、強固な社会を形成し、人類はアフリカを飛び出してユーラシア渡った。

アフリカで撮影された動画より(文字起こし)

「録画始まった?」
「大丈夫。えー、いま俺たちは、アフリカのエチオピアにいます。前回アディスアベバで見た巨大な首なし天使を録画するためです」

カメラにはジンとモニカが映り、二人の背後には高原と遠くにエントト山が映る。

「俺がまだ学生のとき、ここエチオピアのアディスアベバで首のない巨大な天使が上空に浮かんでいたのを見たことがありました。今回は首なし天使を見つけ出すために、再びこのアフリカに妻のモニカと共に調査に来ました...…まあ、本当は妻の博士論文のフィールドワークに無理言ってついてきただけですけど」

ジンは日本では周りにバケーションとことわってエチオピアに訪れていたが、実際に旅行感覚で聖ゲオルギウス教会やトリニティ教会、そして岩窟教会など、様々な名所を観光していた。

教会の前でモニカが一人歩みを止め、ジンは振り向いて言った。

「どうした」

「ねえ、ジンはどうして私と結婚したの?」

「なんだよ急に」

「いえ、面倒くさいこと聞いてごめんなさい。でも、最近自分がわからなくなるの。どうして他の人じゃなくて私だったのかって」

ジンはモニカの隣に歩いて行って、彼女の手を握った。

「俺がモニカを愛しているのは美人だからとか俺より頭が良いからとかだけじゃなくて、たとえモニカがこの世で最も醜い生き物に変身したって、俺は探し出して愛すると思う……でも、理由は少し不健全かもしれない」

「え?」

モニカは、なぜ不健全かという理由を知っているかのような表情で、ジンの口で理由を説明して欲しかったのか、わざとらしくきいた。

「いや、何度も言うのはみっともないことだけど、俺は今でも母親に虐待されていたときのことを思い出して、悪夢で夜中に起きることがある。モニカに見せたことはないけど、俺の右脚の一部には、皮膚が爛れた跡がある。母親にやられた。こう言った俺の過去が誰にも理解されないんじゃないかって思ってたけど、俺はモニカの前でだけは眠れるし、自分でいられるから。それは痛みを知った者同士として」

モニカはジンの胸に顔を当て、涙を流していた。
ジンが両手でモニカを抱きしめると、モニカはジンを突き放し、大丈夫と言って不自然な笑顔を作った。

「ごめんなさい、泣きたいのは貴方よね。私はもう大丈夫」

「いや、俺もまた変な話をして悪かった」

その後、二人はトリニティ教会に行くことにした。

エチオピアでは’91年に社会主義政権が崩壊した。
トリニティ教会にはその際に発見された、かつてのアフリカの雄、エチオピア国王ハイエセラシエの墳墓が設置されている。
天使や諸聖人のステンドグラスの光に包まれ、棺の中の国王は永遠に眠る。

モニカはステンドグラスを背景にジンに話しかけた。

「私、貴方に謝らないといけないことがあるの」

高原の強い日光がステンドグラスを通過し、モニカの表情は逆光で闇に包まれていた。

そのとき、外で乾いた銃声が鳴り響き二人は屈んだ。
モニカは下腹部を抱えながら塞ぎ込んで動かなくなった。
彼女の涙と鼻水が肌を伝い、震えることによって鼻先から地面に垂れる。

ユセフの日記

場所:アレクサンドリア港

沿岸警備隊に給料が払われなくなって数ヶ月が経った。
補給は停止し、他の中隊は海賊化して民間のタンカーを略奪し始めている部隊もいるようだ。

今日、物資支援をしに来たというNGOのマリヤムという女性に会った。
彼女たちのNGOは最近エジプトで勢力を拡大していた。
マリヤムも外国人ながら流暢なアラビア語で、僕たちにレーションや医薬品を支援してくれた。

彼女は出身はアメリカ大陸で母国語はスペイン語だと言っていたが、どこであんな流暢なアラビア語を身につけたんだろうか。
僕の見込みではおそらくマリヤムという名前もおそらく偽名だ。
少し彼女の背景を怪しいとも思ったが、場所がアレクサンドリア港という背景があったのもあり、少しあの初恋の女性、モニカを思い出した。

マリヤムとは初対面とは思えないほど打ち解けた。
彼女が僕が英語を解することを知るとお互いの言葉は自然と英語に変わり、言葉によって会話の雰囲気も変わったように感じた。
そして初対面ではかなり踏み込んだ話、彼女の信仰と、僕たちムスリムをどう思うかについても話の流れで聞いてしまった。

そのとき、マリヤムは沈黙して気不味い空気が流れたが、彼女は僕の目を見つめながらも僕の背後にある何かを見つめているような感じがした。
彼女の目の奥には深淵な宇宙が広がっていて、まるでその闇の中の中心にあるブラックホールに吸い込まれるような感覚になった。

マリヤムはそのとき、おかしなことを聞き返した。

「もし創造主である神が無目的に人々を苦しめているとしたら、このエジプトでの飢饉や犯罪、全ての戦争を作り出して楽しんでいるとしたら、貴方はそれでも貴方の神を信じる?」

僕は、慈悲深いアッラーが無計画であることがあり得ない、悪とはアッラーによる試練であり、人は試練を乗り越えて正義を敢行すると、言おうとしたが、彼女の目の中の宇宙ではその理屈が通じるのかと、言い淀んでしまった。

マリヤムは静かに笑って、話題を変えた。

「私には昔、息子がいた。息子の名前はヨセフにちなんでホセというのだけど...…そういえば貴方もユセフ、つまり同じ名前ね」

「何が言いたい?」

「親近感を持ってるってこと。そういえば最近、旧時代の遺物を見つけて、ちょうど扱いに困ったから親交の証として貴方にプレゼントしようと思ってる」

「なんだ?」

「昔、ナチスのDAKが北アフリカでの戦線撤退時に放棄した750ccのオートバイ。バイクは好きかしら?」

「悪くはない...…。これをくれるというのならありがたいが、しかしなぜ人道支援のNGOがこんな密輸業者が扱ってそうなシロモノを?さっきから薄々勘付いていたが、おたくらは単なるNGOじゃなさそうだな。突っ込んだことを聞くが、何かのフロント組織か?」

「まあ疑われても無理もないわね。元々そんなに隠すつもりはなかった。貴方には知らないといけないことがある。私がバイクを運転するから後ろに乗って」

マリヤムはバイクの積んであったトラックに向かって歩いて行ったので、仕方なくついていくことにした。

トラックの上にあったバイクは表面全体に錆がかかって、おまけに弾痕までついていた。
しかし確かにこれはDAKのもので、掠れた鷲のマークが見えた。
ボルトアクションライフル用のストックまでついている。
本当にどこで見つけたんだこんな骨董品。

マリヤムが跨って五回くらいペダルを踏むと老人がむせながら吐いたみたいなエンジンの始動音がした。
確かに動くには動くみたいだが。

僕は彼女の後ろに跨ってマリヤムに問いかけた。

「どこに向かうんだ?」

「アワッシュ川」

「おい待て、そのアワッシュ川ってエチオピアのあのアワッシュ川か?気でも狂ったか、ここから何千キロあるんだ」

僕はバイクを降りようと足に力を入れたがマリヤムはアクセルを大きく回してクラッチを離しており、時はすでに遅かった。

あれから3時間くらいは止まらずに走り、遠くにはピラミッドが見えた。

カイロまで来てしまったのだ。

ミゲルの日記

アレクサンドリアに来た。
ユセフに久々に会おうと思ったから、このおいぼれが、わざわざ自家用機で来てやった。

アフリカにはいくつか別荘がある。
ここ以外はどこだったかな。

最近物忘れが激しい。
しばらく麻を吸って落ち着いてから、ユセフの部隊を見に行った。

遠くから話しかけずにあいつを見ていたが、あいつはもうすっかり大人になって、身長は俺よりも高いし、沢山の部下に慕われてるようだった。
わざわざ来たが、なぜか話しかける気になれなかったし、あいつも俺のことには気付いていなかった。

俺には子供がいない。
女は沢山いたが子供はいなかった。
いや、厳密には子供もいたのかもしれんが、もはやどの女とも関わりがない。
一時期、ユセフを息子のように感じたこともあったが、あいつは俺とは血が繋がっていない。

俺はモニカ、マリアの妹に興味があった。
あの美貌と器量の女をスナッフフィルムの材料になんかするわけがない。
最近、モニカがエチオピアに滞在しているという話を耳にした。

ユセフのことはもう忘れよう。
俺がアフリカに来たのはモニカのためで、あいつに会うためじゃない。
あんな計画がそもそも上手く行くわけがなかった。

だめだ、忘れるも何も、最近ボケて来て、何も思い出せない。

ジンの日記

場所:アディスアベバ

俺たちは武装集団に捕らえられた。
目隠しをしてバンに詰め込まれ、現在監禁状態だ。

モニカは何かのトラウマでうずくまっているかと最初は思ったが、どうもそれにしては様子がおかしかった。

モニカはあれからずっと何も喋らずに、ずっとごめんなさいと連呼し、妊娠しているとだけ伝えた。

しかしどう考えてもおかしい。
俺はモニカとは肉体関係を持ったことがない。

理由は、カトリック教会が婚前交渉を禁止しており、結婚後も彼女の過去のトラウマを考慮して上手く話を切り出せなかったというか、関係が持てなかったからだ。

疑いたくはない。
しかし、これは生物学的に絶対におかしい。
モニカは俺に何か隠し事を?

“マリヤム”の日記

場所:アレクサンドリア

イフサードは紀元前6世紀、バビロン捕囚中のユダヤ人を起源とし、紀元3世紀までのアレクサンドリアで発展した秘密結社だった。

ムフシドと呼ばれるイフサードの徒は世界中に拡散し、東はインドや中央アジアから西はイベリア半島まで広がり、中世ではカタリ派やアルビジョア派にも関係したとされている。

近代ではジャコバン派やマルクスにも影響し、その頃から加速主義的思想の萌芽も見えていた。
そしてイフサードは近現代の暗躍により多くの大虐殺に関与した。

イフサードにはこの世に存在する全ての生物、悪しき被造物を全て抹消し、この全ての悲劇の連鎖を断ち切る使命がある。

三億年前に珊瑚礁に引っかかった生物の死骸が石油になって自動車や文明の燃料になっている。
農作物が育つ豊かな土壌は動植物の死骸そのものだ。
オルダスハクスリーは、この地上は別の惑星の地獄であるといった。

史上多くの賢人が何度も考えたこと。
この世はあまりに醜く、無こそが美しい。
ミゲル諸共、全人類をこの世から抹消する。

マリアは死んだ。
私はマリヤム。

私はイフサードのムフシドとして、エジプト軍懐柔計画の尖兵となる。

エジプトにはスエズ運河があり、イフサードが全世界の物流の動脈を握れば、状況は優位に働く。

イフサードの勢力圏はやがて地球を覆い、やがて全生物を絶滅させる。

偽善で虐げられた者達の蜜を啜る全ての虚栄を滅ぼし、今後、数億年続く全ての嘆きの根源を断ち切る。

ユセフの日記

場所:カイロ

相変わらず僕はラジオを聴いていた。
冥王星の遺跡に関するニュースが気になっていたからだ。

最近はアルカエアヘクシスという古細菌が北アフリカで流行っていて、どうやらその古細菌が特定集団に感染したことで冥王星の幻覚が見えたんだと報道していた。

「そのラジオ、昔私の妹が持っているものに似てるわね。エジプトじゃ珍しい。どこで手に入れたの?」

マリヤムが僕に話しかけた。

「昔、好きだった人がくれたんだ。その人が僕に英語を教えてくれた」

しばらく僕たちはバイクの近くに座って二人でタバコを吸っていた。
高台から見える夕焼けがピラミッドの背後に隠れ闇に包まれると、ふもとの街の至る所で電灯やネオンがつき始めた。
マリヤムは僕に問いかける。

「なぜ人は人を好きになり、愛し合い、子孫を残すのだと思う?」

「それは、愛した人との証をこの世界に残したいからじゃないか」

「それが単なる遺伝子の命令でも?」

「どう言う意味だ」

マリヤムは間をおいてから話し始めた。

「プレートテクトニクスに基づくと3億年後の地球には超大陸が再び形成され、人間は異形の化け物に進化し、10億年後以降には太陽が海洋を蒸発させ、全生物を絶滅させる。およそ40億年後には私たちの銀河系はアンドロメダ銀河系と衝突し、さらに数千兆年後には熱的な死を迎える」

「だから何なんだよ」

マリヤムは感情的になって泣きそうな声でピラミッドを指差して言った。

「子供を残し、文明を作り、何度も繰り返そうと、必ず滅びる。滅びるのになぜ生み出す?この大陸では飢饉や紛争、虐殺が絶え間なく起きている。およそ平均年収が13万EGP(日本円で約40万)の国だって沢山あるし、貧しい者は一生働こうと、欧米の自由で快適な生活を享受できない。なぜ苦しむのがわかっていても生み出す?それは、産めよ増やせよと、遺伝子に命令されてるからに他ならないからよ」

モニカの日記

場所:アフリカ北東

私はずっとミゲルに脅され、定期的に肉体的な関係を持っていた。

ミゲルは私が日本で大学院に入るまで、私を泳がして監視を続けていた。
ミゲルの使者は、いつでもジンを殺せると私を脅し、周到に私を手懐けた。

私がフィールドワークとジンに言って度々海外へ言っていたのも、ミゲルに呼ばれたからだった。
今回はジンを旅行に連れて来たから、ミゲルの逆鱗に触れたのかもしれない。

私はとうとう妊娠してしまった。
ジンには必ず説明しないといけない。

あれから数ヶ月、もうすぐ子供がうまれる。

でも私は心底、世界が嫌いになりそうになる。

ジン、本当にごめんなさい。

モニカの手帳

今回の旅行は本来、実際に私の研究していたアルカエアヘクシスに関する博士論文の為のフィールドワークを兼ねていた。

アルカエアヘクシスは人間の認知を歪める。
いや、正確に言えば、明るく歪んだ人間の世界認識を、抑うつという正しい認識に戻すと言った方が良いかもしれない。

世界中で毎日人が死んで今この瞬間にも苦しんで虐待されている人々が絶え間なく存在するのに、人はその事実を知ってもすぐに忘れて笑っていられる。

そして、言語によって形成される常識は無意識に存在する超現実を抑圧し、脳内の常識的な規則に沿わない現象を奇跡とか異常現象と呼び、一種の防衛機制を働かせる。
しかし現実とは、認識可能な世界の限界に過ぎない。

2億5千万年前のペルム紀に起きた大量絶滅にもアルカエアヘクシスが作用し、いわば多くの生物のマスキングを破壊して抑鬱的な状態に適応可能な個体が適者として生存した。

アフリカの荒野で原初の人類は何度も既に死んだ親の幻影をみた。
彼らは飢饉の苦しみの中で耐えきれず自殺し、生き残った彼らの子供達は自らの父の肉を食べ、その禁断の果実は、子供達に知恵、理性と狂気という罰を与えた。
そして存在しない父の名を求めて、人は初めて発声した。

抑鬱、変性意識、愛着障害、統合失調症、これら複数の精神疾患的な極限状態に揉まれた混沌に耐え、かつ父の名という希望を持ち続ける者のみを適者として生存させたのだろう。

父の“名”を孤児たちは叫び、人類は血縁を超越した集団を形成するようになった。

ユセフの日記

場所:ルクソール

僕たちはバイクに乗ってルクソールに到着した。
難民キャンプは人で溢れかえっており、下腹部が肥大化してハエがたかっている子供を無視して、支援物資が売り叩かれている。

人々はハエよりも醜悪に我先にと物資にたかり、一方では小さい女の子が号泣してママを呼んでいたが誰も彼もが女の子を無視していた。
僕は人だかりに声をかける。

「おい、この子の母親はどこにいる?」

誰も答えない。
僕はエジプト人が嫌いになりそうだった。
マリヤムは僕の心境を察して言った。

「何もエジプト人が醜いからじゃない。私がメキシコにいた時も似たような光景を見たことがある。教会で声をかける物乞いを、司祭は完全に無視していた。おそらく先進国も落ちぶれれば同じようなことが起きる。皆、目の前のことが一番大事なの。それは私たちも変わらないでしょう」

「いや、僕は...」

マリヤムはにやりと笑った。

「世界では5秒間に1人、人が亡くなっていると言われている。私たちが自分の楽しみのためにタバコを吸っている間、60人が死んでいることになる。貴方はこの事実を知ってもタバコを吸うことがやめられないでしょう。そういうことよ」

僕は何か責められているような気がして動悸が激しくなって来た。
別にマリヤムに責められていると感じた訳じゃない。
僕が目を背けている死屍累々は呼吸をする度に増えているが、僕は何もできない。

マリヤムは問いかけた。

「ロトカヴォルテラの方程式って聞いたことがある?」

「いや、大学で学んだかもしれないが内容は忘れた。それが何の関係がある?」

「簡単に言うと、例えばウサギが被食者で、オオカミが捕食者とする。ウサギが増えすぎると、オオカミがそれを食べて増える。一方でオオカミが増えすぎると、ウサギが減り、結局オオカミも餓死する。自然はこの方程式の中で均衡を保つの。私たち生物が生き続けている以上、この秩序からは逃れられない。生命は炭素循環の中で他の生命の犠牲の上に成立しているの。あのような子供たちは、生命が存在する以上必ず生まれる。私たちの平穏な生活は、単に私たちの脳が精神を病まないように忘れるようマスキングしているから成立しているのよ」

僕は困惑して言った。

「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

「私は本気でこの世の全ての生物を絶滅させるつもりよ」

「どうやって?」

「アルカエアヘクシスという古細菌を使う。この古細菌は2億5千万年前の大量絶滅に関係している」

「アルカエアヘクシスって、最近幻覚を見せるとか言われて話題になってた...?」

「そうよ。私の妹、モニカという米軍出身の神経言語学の博士が今、エチオピアにいる。彼女は殺されたとずっと思っていたけど、日本でアルカエアヘクシスを研究していることがわかったの。私たちがエチオピアに...」

「おい待て、今米軍出身のモニカって言ったか?」

「ああ、そうだった。申し訳ないけど、貴方の初恋の相手がモニカなのは最初から知っていたわ。だから貴方を連れて来たのよ。そして貴方とミゲルの関係も調べてある」

「ミゲルおじさんも知ってるのか?いったい、あんたは何者なんだ」

マリヤムの後ろに宵の明星が強く輝く。

「わかった、今が伝えるときね。私は、イフサードのエージェント。絶滅の福音を知らせる使徒」

「イフサード?まて、頭がこんがらがりそうだ。いったい何を言っているんだ」

僕はマリヤムから全てを聞いた後、一晩中、冷酷に輝く金星を見ながら一人で頬を濡らしていた。

マリヤムが殺した彼女の息子の話、ミゲルによる僕への経済支援が善意や愛情ではなかったこと、ミゲルが僕の父を殺していたこと、ミゲルによるモニカの妊娠、全ての汚穢を抹消するためのイフサードの歴史上の暗躍。

全てを知ったとき、僕の中を構築していた全ての関節は外れ、彼女のように世界の全てを滅ぼしてやりたくなるには充分だった。

僕の着ているエジプト軍の軍服、ミゲルが僕に名付けたユセフ・ミカエルという名前、この世界、全てが嫌になった。

僕は酷い奴だ。
泣き叫ぶ子供を無視してタバコを吸っていたのに、いざ自分のことになるとこんなにも感傷的になれる。
僕だって、あのハエと変わらない。

僕を含めた全ての悪魔が地上から抹消され、これからも、この世界に生まれませんように。

アワッシュ川の映像

このエチオピアの峡谷を流れる川の流域は、アウストラロピテクス・アファレンシス、最初期の人類が見つかった場所だった。

人類が北東アフリカを離れユーラシアに拡散して以降、何万年も人類の全ての罪の歴史を静かに眺めてきた。

監視カメラが室内映像に切り替わる。

ジンとモニカは崖の上の馬小屋の一区画に監禁されていた。
そしてモニカは赤ん坊を抱きしめていた。

マリヤムが錠を破壊して扉が開けて馬小屋の扉を開いたと同時にマリヤムはサイレンサーの付いた銃で中にいた全ての看守の脳天に穴を開けた。

監視カメラが小屋の前の映像に切り替わる。

小屋の前ではライフルを持った数十人の男が血の気の引いた顔色で上空の何かを眺めていた。

「あれはなんだ?」

「首がないぞ。手に何か持ってる」

彼らの目には、タンカー五十隻ほどはある巨大な天使が見えていた。

「やかましいな、何の騒ぎだ」

ミゲルが男たちをかき分けて空を見ると、驚いて、後退りを始め、頭を抱え、静かにつぶやいた。

「お許しください......」

後退りを続けるミゲルは背後の崖に気付かず、バランスを崩して転落した。

“ジョセフ”の回想

名前をジョセフに改めてから三年近く経った。
ジョセフというのはイエスキリストの育ての父、ヨセフが由来の名前だ。
ヨセフはイエスの母マリアが処女懐胎した際も、それを信じて育てたという。

三年前のアワッシュ川で、私の人生は大きく変わった。
まるでかつてアワッシュ川にいた人類の祖先がユーラシアに旅立ったように、私もまた多くのものを失い新しいものを得た。

あのときモニカは、崖から落ちて血だらけのミゲルを抱きしめていた。

その光景はまるでピエタ。
彼女がキリストを抱きしめる聖母マリアに見えた。

モニカはミゲルのまぶたを手で閉じ、慈悲の表情で彼の顔を撫でている。

その直後、二発の乾いた銃声が聞こえて、二人の方を見ると、あっけなくミゲルとモニカの脳天には穴が空いていた。

私は喉が破けるくらい叫んで、モニカの方に走った。

何回モニカと叫んだかわからない。
私が大声で叫ぶ度に私の喉は掠れ、抱き上げたモニカの頭からは彼女の脳や、血や、組織が溢れ出ていた
彼女の研究してきた2億5千万年の知恵が彼女の頭から溢れだし、峡谷の小鳥たちはピヨピヨと何事もなかったかのように鳴く。

撃ったあの男は、マリヤム、いや、マリアと何かを言い争っていたが、何を言っていたのか覚えていない。
しかしあの男も涙を流していたことだけは覚えている。

彼はその後、口論の末にマリヤムを撃ち自らの顎に銃口を突きつけ命を断とうとしていたが、私は怒りに任せて、ミゲルの銃で彼を、弾倉が空になるまで撃った。

鳥たちは驚いて飛び去り、私はうずくまって地面に頭を打ちつけ、涙が砂に混じって自分の口の中に入ると、なぜか顎が外れるくらい笑っていた。

そのとき、モニカの子供の泣き声がした。
私は無心になって崖を登って、馬小屋に向かった。

急いで抱きしめると泣き止み、その子は私が崖を登るときに剥がれた爪を握って、笑った。

ジョセフの日記

場所:アディスアベバ葬儀講共同墓地

役所でなぜ全く血の繋がっていないこの子を育てるのかと聞かれたことがある。

愛してくれた人が愛した人を、愛したいからです。

私はそう答えた。

この子の名前はイマヌエル。
意味は、「神は我らとともに」。

今日、三歳になったイマヌエルを連れて、マリア、ミゲル、モニカ、そして彼の墓参りに来た。

私はマリアの墓の前にマリーゴールド、
ミゲルの墓の前にイブニングスター、
彼の墓の前にハクモレン、
そしてモニカの墓の前に白いバラを置いた。

四人の前で手で十字架を切ると、暗雲から光が差し込んだ。

光を見ながら頬に涙を感じると、イマヌエルが心配して私の服を引っ張った。

私は笑って言った。

「行こう、イマヌエル」

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