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【連載小説】湖面にたゆたう(島田荘司「丘の上」の続編)⑪

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 扉を一枚隔てた執務エリアに戻ると、自分の席で チラシ折りを再開する。A4サイズの上半分はマンション外観の写真が載っていて、下半分には間取りや価格が記載されている。他にも似たようなチラシを大量に折り、合計三種類を束ねて透明な封筒に入れていく。友子の席の向かい側は作業台や荷物置きになっていて、そこに置かれた浅い段ボールに、封をしたものを溜めていく。後ほど営業社員が紙袋に詰めてポスティングを行うのだ。

 作業台の上には、複数のチラシをまとめて折るための、四〇センチ四方の重たい鉄の器具が放置してある。友子が勤め出した頃にはすでに埃を被っていた。先輩社員によると、壊れていて使えないのだと言う。
「修理するか、いっそ捨ててしまってはいけないんですの?」
 働き始めて数か月経がった頃、そう何気なく社員に聞いてみた。しかし、誰もが曖昧な返事をするだけだった。
「うん、まあ、そのまま置いておいて」

 そう言われるまま、そろそろ二年半が経つ。この台の上には惰性で放置されたものばかりだ。黙々とチラシを折る友子も、いつの間にかその一部になってしまう気がする。はじめは効率的に作業する方法を工夫してみたが、チラシのストックが余って邪魔になるだけだった。今では業務終了の一八時まで、用事のない時間をただ潰すために折っている。今を生き延びるためだけの仕事。それでいて、収入は大して借金返済の役に立たない。

 派遣法では、同じ職場で働くことができるのは三年までと決まっているそうだ。友子が初めて勤めた二子玉川の事業所で三年が経過した頃、派遣会社の担当者にそう告げられた。専業主婦の習性で周囲と波風立てずに馴染んでいたし、事業所内に友子の居場所ができていると思っていた。そのため、当たり前に周囲が友子を必要としていて、このまま勤め続けられるよう何か手を打ってくれるものと期待していた。しかし、期限が来ると、あっさりと契約は終了した。最終日の夕方でさえ、周囲の態度は普段と何ら変わりなかった。和やかなまま、普段通りに業務が終了した。友子と二人で事務を担当していた社員はきっと泣く――とまでは思わなかったが、寂しがるだろう。せめて花束くらいは用意してくれているかもしれない。しかし友子が高島屋で買って準備していた洋菓子の詰め合わせを渡すと、彼女は驚いていた。店長は書類を受け取るときと同じ笑顔で、お礼を言うだけだった。

 自分の代わりなど掃いて捨てるほどいる。そう思い知らされたのは何年ぶりだろう。戯れに夢を追いかけてみた独身時代ならいざ知らず、まさかこんなところでも味わうことになるなんて。

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