フランソワ・ルルーの”吹き振り”が、前夜「ボリス・ゴドゥノフ」で負った傷を癒してくれた_2022年11月18日
■オーボエの”吹き振り”に惹かれて、日本フィルの演奏会へ
「この日、オーボエのフランソワ・ルルーが”吹き振り”をするんです」
ある人とLINEでやり取りをしていた時、いくつか目のメッセージの文末にそう書かれていた。私たちは別件についてやり取りしていたので、相手も何気ない世間話として書いていた。私も「なるほど、”吹き振り”するのか」と横目で読んだまま、本題に意識を置いていた。
「ん? そういえば、”吹き振り”って何だろう?」
やり取りから数日後、ふと気になったので検索してみる。いくつか出てきた動画には、指揮者不在のオーケストラが映っていた。そして、フルートのソリストがオケの中心で、指揮と演奏を兼任している。
「えっ! どういう状態!?」率直にそう思った。
2022年11月18日(金)、出張の予定が変更になったのを機に、私は日本フィルハーモニー交響楽団の第745回東京定期演奏会に行ってみた。
当初予定していた指揮者アレクサンドル・ラザレフ氏の来日が叶わなかったため、オーボエ奏者のフランソワ・ルルーが、指揮・独奏・独唱を担当することになったのだそう。
演目は、
ドヴォルジャーク:管楽セレナーデ op.44 B.77(吹き振り)
ドヴォルジャーク:《伝説》op.59 B.122 より第1曲、第8曲、第3曲
モーツァルト:オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314(吹き振り)
ビゼー:交響曲第1番 ハ長調
■陽だまりの安全な寝床で、心を回復させる音
前半のドヴォルジャークは、木管を中心に、チェロやコントラバスも含む少人数の編成だった。
オーボエがスッと息を吸い込むと、そこから音楽が広がってきた。
”吹き振り”を生で見るのは初めてだったのだが、気づくと曲に合わせて呼吸が深くなっていく。
ほっこりした響きに包まれていると、気づかないうちについていた微細な擦り傷を、光が撫でて癒してくれるようだった。
というのも、日本フィルの前夜、私は新国立劇場で「ボリス・ゴドゥノフ」を聴いていた。身震いするほど美しい音楽だったし、目に映るものもハッとするほど美しい瞬間が少なくないオペラだった。このタイミングでこの作品を体験できたことは、私の財産の1つになると理解できた。
一方でストーリーにはまったく救いがなく、ひたすらに重い。こちらの生き抜く力を抉っていくように感じられた。
翌日である今日も仕事で創作物の締め切りが2本あったので、私は精神を引きずられないように、自覚しているよりもかなりのエネルギーを使って平静を保っていたようだ。
日本フィルのドヴォルジャークを聴いていると、まるで森の中、陽だまりにある安全な寝床に横たわっているように感じた。安らかな気持ちで呼吸を繰り返しながら、「ああ、昨夜、私は傷を負っていたんだな」と、ようやく自覚した。
そのとき、傍らにきれいな水の流れも感じられた。
■モーツァルトとビゼーに委ねていたい
後半のモーツァルト「オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314」(吹き振り)とビゼー「交響曲第1番 ハ長調」も軽やかで明るく、安らかな音だった。
まるで舞うように音と空気を動かすフランソワ・ルルー。彼に合わせて私も「両手を広げて、ゆったり音に委ねて、たゆたっていたい」と、思いながら音に包まれる。
深呼吸をして、脱力する。そして初めて、それまで自分にどれだけの力が入っていたかを自覚した。今日も、自分の人生に音楽があってよかったと、心から感謝しました。
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