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ちがいを出発点に
こちら読みました。
とても面白かったです。
元々はコクヨ野外学習センター企画・制作のPodcastの番組で、それを活字にしたものです。
世界の様々な場所でフィールドワークしている人類学者の方をゲストに、「働くこと」、「生きること」について対話しています。
この世界に生きている人の、
僕が知らなかった考え方、働き方、生き方、
色んなものが描かれていました。
その中でも印象的だったのは、第3話に収録されている佐川徹さんをゲストに迎えた回です。
佐川さんは、エチオピア南部の国境地帯に暮らす牧畜民「ダサネッチ」の研究をされています。
ダサネッチが使う表現で面白いなと感じたのが、「胃が決めた」という表現です。
ダサネッチにとって、
胃はその人の性格や感情が生まれる場所であり、
生まれたときからみんな違っているものだという認識があって、最終的には胃の違いを相互に受け入れる、尊重し合うことが社会生活の基本になっている、
のだそうです。
そんな彼らにとって、「交渉」とは、
私が抱える事情があって、あなたが抱える事情があって、その双方を相互に打ち出して十分に両者が納得できるだろうところまで、徹底的に折衝していくもの
なんだそうです。
この「彼らの交渉のあり方」が、とても素敵なものだな、と感じました。
佐川さんの言葉にもありましたが、
「一人ひとり違うことを尊重し合おう」、みたいな感覚は共有されているけれど、
それが断念や諦め、不関与、無関心の正当化に繋がっている
そんなことって、ある気がします。
ある気がします、というより、僕自身そんな選択をしてきてしまったことがある、と自覚しています。
組織の中で働いていて、組織のルールや上司の指示に疑問が生まれたとき、「この組織と自分は違うから」
「上司と自分は違う考えだから」
と、違いを認めてはいるもののそこで終わり、
自分とは違う考えのレールに乗っかっただけだから、
という諦めや無関心な態度を取ってきてしまいました。
そして、そんなレールに乗っかり切れなくなったら去っていくという、恐ろしくわがままな選択をしてきました。
全く「交渉」という行為をしていなかったのだと思います。
今、冷静に振り返ってみると、本当にわがままで独りよがりだったな、と思います。
自分と他人が違うこと、それを認めても、もし受け入れられなかったら一緒に何もできない。
とても寂しいことだと思います。
「協働すること」
「チームで動くこと」
とても大切なことだと思います。
そのような中で、ダサネッチのような
「お互いに十分に納得できるまで、徹底的に折衝していく」
交渉、コミュニケーションの仕方を見習いたいな、と思います。
ちがいを諦めや無関心という終着点にするのではなく、
尊重し合い、お互いが納得できる結果への出発点とする、
そんな姿勢を身に付けたいと思います。
本の中には、その他の地域をフィールドに研究されている人類学者をゲストに迎えての対話があり、それぞれとても面白かったです。
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