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混同しない方がいいこと

noteを書き続けてよかったと思うこと。
その一つは、過去の自分の言葉に再び出会えること。
今日も、以前書いた(かもしれない)言葉にまた会ってみたくなって、自分の記事を検索してみた。
結局、求めていた記事には辿り着けなかった(書いていなかったかもしれない)けど、興味深い過去の言葉には出会うことができた。

考え方が同じだからといって心が通い合うわけでもない。
自己の存在の重みを感じ、具体的な相手の生きる世界やその気持ちを感じる力だけが、深いところで人と人を結ぶのである。

星言葉/晴佐久昌英

自分の言葉ではないのだけれどね。
「深いところで人と人を結ぶ」
そんな関係を築いてみたいと思った。

最近思った、混同しない方がいいこと。
それは、「関係性」の話と「自分がどうあるか」の話。
改めて書いてみると、当たり前に違うことなのかもしれないけど、混同してしまっていた自分がいたように思う。

カウンセラーとしての活動をする中で、相手の方と「線を引く」ことに違和感を抱いていた。
言葉の使い方の話でもあるのだが、これを「関係性」の話で捉えるとやはり違和感を抱くが、「自分がどうあるか」で捉えれば納得できた。

私は「カウンセリングを提供する人」で、相手は「カウンセリングを受ける人」。
そのように「関係性」に「線を引く」ことは、先に書いた「人と人を結ぶ」ところから外れてしまうのではないかと思う。
「具体的な相手の生きる世界やその気持ち」は、カウンセラーだからではなく、「一人の人間」だから感じられるように思う。
また、「関係性」は相互作用によるものなので、そこに「線を引くこと」は一方的にできることでもない。

一方で、「自分がどうあるか」は、「自分で決める」ことができる。
自分の力だけでは決められない、環境による場面ももちろんあるだろうが、少なくとも「自分で決めようとすること」はできるのではないかと思う。
「私はカウンセラー」「私は岩堀」
どちらの方がいいという話でもなければ、ある関係においてどちらか一方だけを選び続けなければならないなんてこともない。
自分や、関係性によい影響をもたらしてくれそうな「自分がどうあるか」を選べば良いのだと思う。

先にも書いたが、関係性とは「相互作用による」もの。
一方的に決められるものではない。
それは諦観することではなく、「深いところで人と人を結ぶ」ような関係に憧れを持つこともある。
憧れの関係を築いていくためにできることの一つは、「自分がどうあるか」を手放さずに持ち続けようとする態度なのかもしれない。

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