読書感想文note【わかりやすさの罪】
「わかりやすさの罪」を読みました。
気になった文章を一部引用しながら考えたこと・感じたこと、読み終えての感想を書きました。
コミュニケーションスキル?
「聞くことはスキルだ」と言ってしまったことがある。
今振り返ると、これは間違いだったと感じる。
確かに、会話の中で、相手に対し「聞いてもらえた」「聞いてもらえなかった」と感じることはあるが、その相手には「聞くスキルの高低」があるわけではなく、「聞き方の違い」があるだけだ。
その違いに対して、「聞いてもらえた」「聞いてもらえなかった」と自分が判断しているだけだ。
「コミュニケーションは他者との関係性で成り立つ」もので、どちらか一方の「聞くスキル」「話すスキル」だけで豊かさを測ることはできない。
「すぐ伝わる」よりも「伝わっていく」を大事にしたい
「わかりやすい」が「良い」とされる状況は、どのようにして起こっているのだろう。
「わかりやすさ」を提供する側と、受け取る側があるとみたとき、それは「受け取る側」が出発点になっていることが多いのではないかと感じる。
「受け取る側」が「わかりやすくていいね」という態度をとるから、「提供する側」はさらなる「わかりやすいもの」を作っていく。
「納得」は、「強要」させるものでも、されるものでもない。
でも、僕には「伝わっていってほしい」と願うものもある。
「わかりやすさ」を「提供する側」は、「伝えたい」と願うものを持っているのだろうか。
最近、「言いたいことは言った方がいい」という言葉を聞いた。
それは、「言い続けることで、伝わっていくものがあるから」というプロセスのことなのだと思った。
自分の意見を言うために必要なこと?
「放置」と「曖昧」
本の中に登場した「放置」と「曖昧」という二つの言葉について、「これらはどう違うのだろう?」と思ったので、考えてみたい。
まず辞書を引いてみる。
「放置」は、「わざと」「自分から遠ざけている」感じがする。
自分の意見を持つことや、誰かと議論するとき、それらを「放置」するのは楽だが、「曖昧」を選ぶのは簡単なことではない。
「曖昧」とは、「その後のプロセスを歩む意志がある」ときに使いたい言葉だと思った。
間違いだったと思う過去がある
最初にも、間違いを言ってしまった過去を書いた。
僕には間違えることがある。
それは、「間違ってもいいから何でもやればいい」ということではない。
間違えないように気をつけることは大事。
でも、「間違えないこと」を最上へ据えるわけでもない。
間違いを排除するのではなく、間違いを含めたプロセスを認め、歩む意志が、「曖昧」を選ぶことだと思う。
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気になった方はぜひ読んでみてください。
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