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「特撮」というジャンル

 特撮番組は、誰が見るものでしょうと聞かれたら、皆口を揃えて「子供」と呼ぶだろう。私もそう思っていた。しかし、実際に特撮作品を鑑賞して思った事は、確かに特撮は子供向けのジャンルではあるが、決して子供しか楽しむことのできないジャンルではない、ということだ。そこで私は、特撮作品は子供のためだけでなく、大人が見るためにも作られているのではないか、と考えた。

「子供向け番組」ってどういうものなんだろう

 ここでは、子供向け番組とは、子供だけが見て楽しんだり喜べる番組であると定義して進めていく。特撮には「大人でも楽しめる」という点がある時点で、完全に子供向けの番組という位置づけではないのだろうと私は思った。では、真の意味での子供向け番組とは一体どういうものなのかと考えてみた。その過程で私が真っ先に浮かんだ作品が、やなせたかし氏による『アンパンマン』である。これこそ完全に子供向け番組ではないだろうか。

 『アンパンマン』という物語を簡潔に説明するのなら、勧善懲悪もの、だと思う。アンパンマンがパトロールをしていると、バイキンマンによってひどい目に合っている動物達が彼に助けを求め、バイキンマンとの戦闘が始まる。途中負けそうになるも、最後は必ずアンパンチで勝利する。正義は必ず勝つ、悪さをすれば相応の罰が下る、因果応報の四字熟語を各話ごとに端的に表現しているところがこの作品の良さとも言えるだろう。
 私は、この『アンパンマン』という作品は、確かに勧善懲悪を見事に表現した作品であると感じている。しかし、言い方こそ悪くなるが、勧善懲悪ものでしかないのではないか、とも思った。何が言いたいのかというと、『アンパンマン』のストーリーには、アンパンマンがバイキンマンをやっつけて、被害にあった動物を助けてハッピーエンドになる、という結末しか用意されていない、ということだ。このことが分かると大人は物語の展開を先読みをして「アンパンマンはどうせ勝つ」と決定づける。案の定アンパンマンは勝ってしまう。すると大人は物語に面白さを見つけるどころか、それを見る意味すら感じられなくなる。
 しかし子供の場合は、物語の結末を考えるという以前に、アンパンマンがバイキンマンに負けてほしくない、勝ってほしい、という気持ちが前面にでるため、仮に必ずアンパンマンが勝つと分かっていたとしても、バイキンマンに勝ちさえすればそれで面白がれるのである。
 成長の過程で、物語の面白さに気づけなくなるというのは、悲しいものだとも私は思う。いつまでも子供でいろと言いたいわけではないけども、時に童心に戻るのも、大人には必要なのだと感じる。

「特撮番組」ってどういうものなんだろう

 特撮番組も、勧善懲悪ものであるという点で、『アンパンマン』と差し支えはないだろう。ここでは『仮面ライダー』を例に挙げて話を進めていく。怪人が現れ、逃げ惑う民衆を仮面ライダーが守り、最後はライダーキックでとどめを刺す。この一連の流れに、子供は面白さを見出す。どんなに劣勢であっても最後は必ず勝ってくれる。子供はそれだけで喜べる。どうせ仮面ライダーは勝つ、そんなことは分かっているので、大人はそこに面白さは見出さない。
 しかし特撮番組の場合、『アンパンマン』とは違うところがある。それは仮面ライダーは負けることがある、ということだ。仮面ライダーの敵には強さの階級があり、序盤は弱く、中盤で強く、終盤になるにつれて化け物じみた強さになることがある。そして、敵が強化されていくにつれて、仮面ライダー自身も、フォームチェンジをしたり、強化アイテムを身につけたりして、強くなる。けれど仮面ライダーは、強い敵が現れた時点ではまずなす術なくやられる。その後勝ったかと思えば、強大な力をうまく使えずに暴走したりすることもある。ここに、私は大人が面白さを見出す要素を見た。

 大人は「どうせ仮面ライダーは勝つ」と思い込んでいる。そこに敗北の描写を加えてやることで、物語全体に動きを与えて、大人に「如何にして敵を倒すのか」と興味を持たせているのだと思う。そして、自信を強化した仮面ライダーがかつて己を破った敵を見事に撃破する姿を見て、「なるほど、そうやって倒すのか」と満足感を得るのだ。『アンパンマン』という勧善懲悪作品の中にはない「未知」の部分。つまり、どうやって敵を倒すのかがわからない、という点に大人は面白さを見出しているのではないだろうか。

人同士の掛け合い

 特撮作品が大人からの支持を得ているのは、何も敵の倒し方だけではないと思う。私は、特撮作品に出てくる人物の関わり、掛け合い、そこに注目してみる事にした。
 私がみた特撮作品に『仮面ライダー555(ファイズ)』がという作品がある。人類の進化系である「オルフェノク」と戦うために、主人公である乾巧(いぬい たくみ)が、仮面ライダーファイズとなって戦うという物語である。この作品は、仮面ライダー作品の中でも、人物との関係に重点を置いた作品となっている。作品には、オルフェノクでありながら人間を守る派閥が登場する。リーダーの木場は、オルフェノクへと変貌して以降も人としての生き方を貫くことを決意し、時にファイズと共闘しながらオルフェノクを倒していく。しかしそんな自分のあり方にいつしか疑問を抱き始め、とある事件を契機に次第にファイズを憎み、敵対するようになる。そこまでに至る過程は、およそ子供向けと呼べるものではない。実際に見ていただくのが早いだろう。
 人物同士の掛け合い、というのは、実際にその作品を見てみないとわからない。例えば、普段は相性が悪いけれど、いざ共闘となると相性が抜群、のようなギャップとか、先のように今まで信じてきた仲間とも呼べる存在が敵側に寝返る、という展開の過程を、大人は特撮を楽しむための要素としているのだ。ただ仲間と戦って敵を倒すだけならば、アンパンマンが実写化しているのと変わらない。むしろ仲間を加えことでえぐみが増してしまう。大人は物語の中、彼はなぜあんな発言をしたか?どういう真意の元の発言か?あいつはなぜ寝返った?そんなことを考えながらついでに戦闘シーンを楽しんでいるのだと、私は考えている。
 私は、特撮は2度楽しめるものと考える。ただ敵を倒すところを見るだけで喜べたあの頃から、教養を身につけた後にまた見直すことで、小さい頃には見つけられなかったものを発見したり、登場人物の発言の真意を思索して考察を立てたりできるようになったりと、自分の成長を実感できる機会になる。これは特撮作品の一つの強みとも言えるだろう。

まとめ

 ここまで長々と語ってきたけれど、私が声を大にして言いたいことは、特撮は大人なったからこそ見てほしい、ということだ。見返すことで、自分の成長を感じられるためだ。様々な教育番組や子供向け番組がある中で、この特徴を持つものはおそらく特撮作品だけだろう。自分が幼き日に見た作品はなんだったろうかと思い返し、あの時の自分を楽しませてくれたヒーロー達に、今度は我々の方から会いにいくべきではないだろうか。

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