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スパイスが織りなす村の社会

インドネシアの東に位置するマルク諸島は、かつて世界で唯一クローブ、ナツメグが栽培される伝説の島があったことで「香辛料諸島」とも呼ばれていました。その伝説の島の一つが、マルク諸島の絶海の孤島「バンダ諸島」。オランダの支配によって19世紀頃までバンダ諸島で独占栽培されていたナツメグは、その後世界各地で生産されるようになりますが、現在もインドネシアが世界一の生産量を誇っていて、その多くがマルク諸島で生産されています。

伝説のバンダ諸島と航路を結んでいる島に、私のホームステイ先「アンボン島」、そして「セラム島」があります。アンボン島でお世話になっているスパイス輸出業者のティナさんが、

「私たちはセラム島でもナツメグを集荷しているの。レバラン(ラマダン明けのお祝い)で休暇中だったスタッフが、家族のいるここアンボン島からセラム島に戻って仕事を始めるから、ミサさんも見学できるわよ。」

アンボン島については前回の記事でもご紹介しましたが、セラム島ではどんな人たちがナツメグを栽培し、どんな風に集荷されているのか…?早速船で渡って見てみることにしました。

ティナさんの事業のスタッフが働く倉庫の場所は、アンボン島からフェリーで2時間のセラム島の「アマハイ」という港。レバランをアンボン島で家族や親戚と過ごし、セラム島に戻ってきた人たちでフェリーは超満員でした。港に着くと、送迎に来た現地の人たちでごった返していましたが、なんとかスタッフのパクさんと合流し、倉庫に向かいます。

セラム島アマハイの港

到着して間もなく、ビニールの買い物を両手に持った親子が倉庫を訪ねてきました。そしてとても慣れた様子で計りの場所までそのビニールを持っていき、重さを図っています。見ると、そこには袋一杯に詰まったナツメグとメースが!そう、彼らは農家の親子だったのです。パクさんは重さをもとに買取金額を計算し、お金を払うと、家族はバイクで帰っていきました。

パクさんに聞くと、こんな風に1日に5組程度の農家が、ナツメグやメースを何の看板もない、この倉庫へと売りに来るというのです。ちなみに私はインドネシア語が話せず、パクさんをはじめ英語を話せる人はほとんどいないので、コミュニケーションはGoogle翻訳が頼り。時折電波も繋がらなくなるので、ドキドキです。

ナツメグを売りにきてくれたアマハイの親子

翌日、パクさんとドライバーがナツメグの集荷に行くというので、同行させてもらうことにしました。朝9時頃に出発して、軽トラックで海沿いの道路をひたすら東に走ります。半分くらいの景色はひたすら海とジャングルなのですが、数キロごとに小さな村が現れます。その道沿いには何やら乾燥させている茶色いものが。私が身を乗り出してその正体を確かめようとすると、

「ナツメグ!チョコレート!」

とパクさん。どうやらこの地域は、ナツメグだけでなくカカオの生産も盛んなようです。

道路脇でカカオを乾燥させている様子。車もちゃんと避けて通ります。

さらに進んでいくと、ジャングルと海に挟ままれた道路を、ひたすら歩くガタイの良い男性たちが。こちらに向かって手をあげる様子を見て、ドライバーが車を止めます。すると彼らは軽トラックの荷台に乗り込み、ドライバーも慣れた様子で車を出します。よく見ると大きな剣のようなものを持っていて、普通の人とは様子が違います。ジャングルの入り口らしき地点に到着すると、彼らは荷台から軽快に降りて、その中に入っていきました。(後にその人たちは、少数民族ナウル族だと判明。近年まで神様に捧げるために首かりをするという伝統も😳)

少し行くと、同じく剣のようなものを持ったファミリーが手を降っています。ドライバーは彼らが乗り込み、子どもたちが座るのをミラーで確認して車を走らせます。数キロ走ったところで、ジャングルへと向かう小道の前で彼らを下ろし、ドライバーはゆっくりと走り出しました。パクさんによると、彼らはナツメグなどを収穫するためにジャングルに入っているようです。車やバイクなどの交通手段がない地元の人たちを、こうして時々送ってあげいるのだとか。

セラム島の中部に暮らす少数民族ナウル族の人々。

そこから30分ほど走ったところで、車を止めパクさんが私を外へと連れ出します。すると、海沿いの斜面にたくさんのナツメグの樹が。ナツメグは収穫の時期を迎えると、自然と半分に割れて、中からメースの赤い部分が顔を覗かせるのですが、今はまだ収穫には早いようです。その様子を確認しつつ、次に近くの村の小さな商店へ。店主はアチョさんと言って、さっき見たナツメグの近くで栽培をしているナツメグ農家でした。他にクローブやチョコレートも栽培をしていて、収入の半分はそれらの作物、残りの半分は商店の売り上げなのだそうです。私はこの地域で良いナツメグが採れる理由について聞いてみました。すると、アチョさんは、

「海があるからだよ。」

と言います。確かにナツメグの生産地は海に囲まれた島々が多く、熱帯地域の海洋性気候が適しているのでしょう。

海沿いの斜面のナツメグの樹
お話をしてくれたナツメグ農家で商店を営むアチョさん。

その後も農家の家を数カ所巡り、ナツメグとメースを買い取り集めていきまが、売れるものが無いと言われることも多々。収穫が終わっていないというだけでなく、農家は一次集荷人に売るまでに以下の処理を終わらせておく必要があるからです。

・実の部分を外す
・メースをナツメグから剥ぎ取る
・5日から7日程度天日で乾燥させる(ナツメグは降ってカラカラと音がするのが目安)
・ナツメグの殻を割って中身を取り出す(この作業は一次集荷人がやることもある)

出発から3時間ほどで、真ん中にサッカー場がある村に着きました。その中心にある商店に入ると、スタッフのバンビさんが奥の部屋へと案内してくれました。そこには2畳分ほどのナツメグが敷き詰められていました。これまでナツメグ農家は一家で農園を管理・運営していることが多く、それにしてはこの量は多すぎます。そこで私は、

「もしかして、この村の農家からここでナツメグの一次集荷を行なっているのですか?」

と質問してみました。するとバンビさんは、

「そうだよ。村の人たちはこの店にナツメグやカカオを売りに来るんだ。」

と言いました。さらに、村の人たちの多くは兼業農家で、ここではナツメグの殻を取る作業もしていることを教えてくれました。

村の商店が一時集荷所になっていることを知り、私は少し興奮しました。そして、アンボン島で訪問した農家も、商店を営みながらナツメグの売買をしていたことを思い出しました。どうやらこの構図は、アンボン島もセラム島も変わらないようです。

商店でナツメグの集荷をしているバンビさん一家。
村の人たちから集荷したナツメグ。

その翌日も、アマハイから車で30分程度の村に、ナツメグの集荷に行きました。出迎えてくれたジャスランさんは、自身でもナツメグを栽培しつつ、村の人から一時集荷を行なっています。彼の場合は商店ではなく、地元の建築関係の仕事をしているそうです。少し英語も話せたので、私の関心の一つである、気候変動がスパイスに与える影響について質問してみました。すると、

「ナツメグだけじゃなく、クローブやココナッツも影響を受けているよ。」

との答えが。これまで同じ質問を多くのナツメグ農家にしてきましたが、異常気象については認識していても、その原因が人為的気候変動であると言われていることを、知っている人はほとんどいませんでした。ジャスランさんは集荷人でもあるからこそ、近年の集荷量や品質を把握していて、その原因についても自分なりに調べているようでした。

また、代々受け継いでいるナツメグ栽培ですが、農業に関する知識は、先代から学んだことだけでなく、YouTubeなどでもアップデートしていると話してくれました。インドの場合、スパイスの栽培に関するナレッジは、輸出の支援をしている政府機関のスパイスボードが行なっていますが、インドネシアの場合はそうした支援が無いからです。

ジャスランさんと息子さん。ナツメグの仕事は建築関係の仕事がない土日にしていることが多いとか。
レバランのお祝いに作られたナツメグを使ったクッキー。セラム島やアンボン島では料理にナツメグを使うことはほとんどないそうですが、お菓子には時々使います。


パクさんのおかげで、沢山の農家や集荷人に話を聞くことができ、充実したセラム島滞在になりました。アンボン島に戻りティナさんに体験を報告すると、

「そう、村の商店が一次集荷をしている役割は大きくて、それはアンボン島もセラム島も同じ。お金がない農家の人たちは、ナツメグなど収穫したものを商店に持ち込んで、お米や油と交換したりしてるの。」

と教えてくれました。

特にナツメグなどのスパイスが地元の産業を支えているセラム島では、スパイスがあることで独特の村の社会が形成されているように感じました。商店をハブにスパイスが集まるだけでなく、物々交換をすることもある。足がない労働者を車に乗せてあげることも、他のどこでも見られる光景ではないでしょう。

日本で見かけるナツメグも、こうした有機的なつながりが積み重なって、届いているのだと思うと、また違った味わい方ができるかもしれません。

こちらのムスリムの紳士もナツメグ農家。ロングナツメグ(パプアナツメグ)も育てています。


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