逆ソクラテスと逆さま自動車
現在私は、学校に通っている。
通っているといっても、今年の授業は全部Zoomで、リアルではない。
実際に会うと、クラスメイトや先生たちはみんな違ってみえるんだろうな、と思う。
たまにだけれど、クラスメイトとZoom上でお茶会をしている。
2時間弱、学校のこととか、色んなことを思いつくままに話す。
先月のお茶会では、話題が最近読んで良かった本に及んだ。
人に良かったと紹介できる本を選ぶのは、結構難しい。
毎日たくさんの本が出版されて、きっと逆にたくさんの本が絶版になっている。
ベストセラーになっていても、私に合わなかった本は山ほどある。
そんな中でも、私が読んで良かった、と感じるのは、共感できる本で、いくら本が知らない世界を開くと言えども、共感度0%の本は結局いつも受け付けられなかった。
とっさに思いついたのが『逆ソクラテス』だった。
これは、小学生が主人公の短編集なのだが、私にもかつて同じようなことがあり(この本のような劇的に鮮やかな展開はないが)、これを私自身の物語のように感じながら読んだ。
伊坂幸太郎さんは、本書をこのように語っている。
『逆ソクラテス』を簡単に紹介すると、その席にいた、写真家の男性は、「逆ソクラテスって、響きが面白いよね」と言った。
それを聞いて私は写真家でも、作家でもないからよく分からないのだけれど、写真を撮るのと、何かを文字にするのは似ているのかもしれないな、と感じた。
実際に見たこと聞いたこと出会った人を記憶という写真に保存して、架空のものと組み合わせて展開を繰り広げ、文字という写真に再度変換するのが伊坂幸太郎さんの手法なのではないかな、だから、どこか共感できて、物語が文字ではなく、音声や映像として、頭に響くのではないかなと思った。
うまく言葉にできないが、齋藤孝さんが監修されていた頃のNHKの『にほんごであそぼ』で、文豪たちの有名なフレーズが歌になっていたのと似たような感じなのかもしれない。
それは、意味が分からなくても、心に残って響きになる。
最近、図書館で借りていたトールキンの『仔犬のローヴァーの物語』を読了した。
本書は、『ホビット』や『指輪物語』の元になった物語と言われている。
休暇を海の家で過ごしていた、トールキン一家の息子が海岸で大事にしていた犬のおもちゃをなくしてしまう。父と子で一生懸命探しても、そのおもちゃは出てこない。
だからその出来事を説明するため、ローヴァーという本物の犬が魔法使いによっておもちゃにされ、その魔法を解いてもらために冒険に出て、ロヴァランダム(でたらめローヴァー)いう名になって再び本物の犬として戻ってくる話を作ったそうだ。
この中で、トールキンは駄洒落や韻を踏んだ言葉遊び(この言葉が、子ども向けの安易なものではない)や、休暇中に体験した自然の美しさや脅威の描写とその中から浮かび上がる架空の人物たちの面白おかしい描写に挑んでいて、出版されることを目的としたものではないため推敲されてはいないそうだが、いい意味で期待を裏切られ、すごくワクワクして楽しかった。
そして、そこには家族との休暇の記憶、家族への愛、そして、家族しか知らない秘密のにおいに溢れていた。
これを読んで、はたと思い出したことがある。
少し前に亡くなった、私の祖母の作った歌だ。
祖母は、元看護師で、気が強く、大胆不敵で、食べるのが好きでとにかく太っていて、料理が下手で、イチャイチャやベタベタが大嫌いだった。
特技は、かしわめしを作ることと、ものを細かくチョキチョキと切ることと、食べもの限定でスーパーで当たりと書かれた箱を透視して探し当てることだった。
変わりすぎていて、説明が難しいのだが、そんな祖母でも、私には優しかった。
幼い頃、祖父母宅に宿泊していたときの寝る前には、祖母が自分で作ったと思われる『夢の自動車』という歌を歌ってくれた。
この歌を未だに歌えるのは、五人の孫の中で私だけで、祖母の娘である母ですら、この歌を知らなかった。
それはこんな歌だった。
寝かしつけようとしているのに、最後落下するところが、いかにも祖母らしいなと思うが、この歌の抑揚、リズム、意外性が面白く、幼い私は、何度も祖母に歌ってとねだった。
その度に、祖母は歌ってくれた。
その歌の言葉は響きになり、今でも私の心の中で、祖母の声と共に鳴り響いている。
そして、いつか私も身近な誰かの心に、温かく鳴り響く言葉が作れたらいいな、なんて思う。
(了)
本記事中に出てきた書籍は、以下のものです。