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身土不二

私の祖母は、生まれた時から、ずっと今まで石川県の能登半島に住んでいる。しかも、ほとんどそこから出たことがない。
昔の日本人は、住んでいる土地と、人は切り離すことができないという、身土不二しんどふじと呼ばれる仏教的な思想があったというが、それに近い生き方を農家であった祖母は、意図せず実践していたのかもしれない。

数年前の冬、突き刺すほどの寒い日に、独り暮らしだった祖母は、自宅で倒れて動けなくなり、低体温症になっているところを発見された。
その後、救急病院で手術を受け、一命をとりとめたものの、特別養護老人ホームでの車椅子生活になった。
一時はどうなることかと思ったが、今は、記憶力がものすごくいい、優しくて、かわいい私のおばあちゃんに戻った。

最近、祖母が嘆いていたことがある。
それは、祖母の身体には、尿管にステントというものが埋め込まれていて、尿は取り付けられた袋に自動的に溜まる。だが、身体にとっての異物、つまりステントは、定期的にメンテナンスが必要となる。
ステントは3ヶ月に1回ほど、入れ替えなくてはいけないので、その度手術を行うのだが、それが、すごく痛いらしい。
年に4回の手術は、私もイヤだ。まして高齢で体力も徐々に衰えてきている祖母なら回復にも時間を要し、なおのことだろうと思う。
命を救うため緊急の処置で、致し方なかったのもあるけれど、私は土木という職業柄、防災や、被災後の対応にあたることもある。だから、災害が起きて医療が受けることができなくなる場合のことを考えてしまう。

昨年末にテレビで『Dr.コトー診療所』のドラマの再放送をやっていた。
結構好きなドラマだったけれど、今回は少しだけ見方が変わっていた。
主人公のコトー先生が凄腕の外科医だから、ドラマの特性上、全話に必ず1回は予断を許さない緊急オペがある。
ドラマを観ながら、コトー先生に詰め寄り、「ばーちゃんには、ステントを入れる、その一択しか本当になかとですか?!」と、尋ねたらどうなるかだろうか、なんて考えていた。
患者の命に向き合おうとするコトー先生は、いつものように、しばらくうつむいた後、何と答えるだろうか。

現代の土木は、工事期間も短縮され、工事に要する費用も縮減されている。それは、工事の方法や、工事に使用する材料が飛躍的に進化しているからであるが、万能ではない。その土地にとっては、土木構造物は自然に生じたものではない異物であるから、合わないこともあるし、定期的なメンテナンスはもちろん、大規模な改築もいずれ必要になる。
また、被災した際は、主要なライフラインほど早期復旧が重要であるにも関わらず、資材が手に入らなかったり、技術者の対応が遅れたりすることもある。
私は、その地域の根幹に関わるものであればあるほど、自治体や住人の方々が応急措置をとることができ、なおかつ、その土地のものでただちに復旧できるような土木のあり方が、今後、重要視されることになるような気がしている。

アフガニスタンの地で、Dr.コトー的な対症療法では全く医療が追い付かないと、根本的な解決を目指して、身土不二に近い観点から、医療と土木、両方へのアプローチを図ったひとりと言えば、医師の故中村哲さんである。
その土地及び水がきれいであれば、それに呼応して、自ずとその地に住む人たちの身体も病気にかかりにくくなる。
さらに、地質によるものの一般的にその土地に最も合う、その地から採取される材料を使用した土木構造物であれば、メンテナンスも簡単で、かつ技術の伝承を行える。
中村先生のそれは、旧い工法でありながらも、斬新な方法をとりいれながら、これからの医療と土木のあり方について、疑問を呈し続けているのである。

かといって、現在の日本の土木は、近代技術の恩恵を大きく受けていることもあり、完全にそれをなくしてしまうのは、現実的ではない。
付かず離れずの、ちょうどよい距離感、つまり、旧さと新しさのちょうど中間を保った、土地ごとの特性に合わせた関係性の構築が、今後必要だと思う。

そんなことを、ぐうたらテレビを観ながら考えていた冬休み、かつて同じ事務所だった、同僚からメールがきた。
内容は、心筋梗塞になったため、主治医からカテーテル手術を勧められたが、万能ではない上に、手術の成功率も100%ではないため悩んでいる、とのことだった。
彼は、お笑い芸人の『ピコ太郎』似のため、大先輩であるにも関わらず、私はピコ太郎と呼んでいた。
ピコ太郎とは、昼休みに卓球をしていた仲間で、学生時代、卓球の県大会に出場したほどの実力を持っていた彼を、最終的に打ち破ったのは、私の数少ないちょっとした自慢である。
ヤンキーだったピコ太郎は、酒でやらかし、母親を泣かせてしまったことがあったそうだ。それから、心を入れ替えるため断酒をし、未だ一滴も酒を飲んでいないという。
パンデミック以降、母親に会えてなく、未だ満足できるほど親孝行できていないと語るピコ太郎には、長生きしてくれたらなぁと、大病をしたことのない私は思う。

ピコ太郎へメールをどう打ち返そうか悩んだ挙げ句、返信できたのは元旦で、おせち料理を食べた後だった。

おせち料理と雑煮と梅酒

悩みに悩んで、がら空きの、ど真ん中ストレートで、ピコ太郎へとメールを一気に打ち返した。
後は、主治医と相談しながら、彼にとって最良の方法を選んでくれたらと願いながら。

一仕事やり終えたと思うと、甘いものが食べたくなり、万羽鶴最中と、辰の焼き印が押された千鳥饅頭を一気に平らげた。

万羽鶴最中
千鳥饅頭

それから、散歩に出た。
初詣からの帰りとおぼしき人たちとすれ違いながら、Mr.Childrenの『ヒカリノアトリエ』を口ずさみ、明るくて気持ちのよい太陽の下、ひたすら歩いた。
途中、河川にかかる橋の上から、鯉にエサをあげた。私と、鯉がむ水面との間を、深く美しいターコイズブルーの身体がキラキラと反射するカワセミが、何度も横切った。

自宅に帰りつき、やおらテレビをつけた。

石川県能登半島で、地震が起きたことを告げていた。
だいぶ前の寒い頃にも、同じような時間に似たようなことがあったというデ・ジャヴュの感覚と共に、祖母は大丈夫だろうかという不安が広がった。
テレビでは、女性が叫ぶような声で「津波が来ます。直ちに逃げてください」と連呼していた。
時折はさまれる「後ろを振り向かずに前だけを見て、直ちに逃げてください」や、「家族の安否より、まず自分の命を守ってください」といった言葉の他、定点を写し出したまま、ほとんど変化しない映像に、得体の知れない気持ち悪さを感じた。

その後、幸いにも、祖母と施設の方たちは、何事もなく、無事だということが分かった。

先月、ステントの取り替え手術をする時に、来ていくための温かいシャツ(ヒートテックのもっと分厚いの)が欲しいと祖母から連絡があった。シャツを購入してミシンを引っ張り出し、それに名札を縫い付け送ったら、たいそう祖母は喜んでいた。
そのことを反芻していたら、ピコ太郎から「元気が出た」と返信がきた。
ちょっとは、私が伝えかったことが、通じたのかも知れない。

今年は、仕事がもっと忙しくなる気配がしている。
でも、仕事以外の時間は、メール等の文章を、ひとつひとつ大切に丁寧に紡いだり、何かを誰かのために創ることに割いてみようと思った。

久々に芸人『ピコ太郎』の『PPAP』を観た。
相変わらずしょうもなかったが、プスッと笑えた。
『ピコ太郎』の笑顔が良かった。もう何年も、こんなに口を開けて笑顔をみせる人に出会ったことがないし、私も笑顔をみせない。
出会った人を笑わせる、これも今年の抱負にしよう、そう感じた元日だった。

(完)


被災されたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。

少し遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

本記事中に記載のドラマ等は、以下のとおりです。


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