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朝日にリッツクラッカー

先月(8月)はなんだか変な月だった。
猛烈に暑いだけではなかった。マスコミが地震や台風による被害発生の恐れを煽っていた。
自然災害に対応しなければならない立場の私は、自信がないなりに、本当のところの分析はしていた。だけど、見えない影が私に張り付いているようで、ずっと落ち着かなかった。
頭の中は、始終Mr.Childrenの『フェイク』が鳴りっぱなしだった。
先月あったことをここに記すことは控えたい。
ただ、ひとつ、『令和の米騒動』については、間接的に農業に関わる者として大事なことなので、記しておこうと思う。

米が余るという理由で、国により減反政策が実施され、米の生産量が減らされていた時期がある。数年前、その政策は、表向きは廃止された。ところが、その代わりに導入されたのが、米の生産を辞めた農家には補助金が支払われるというものである。
そのため、年々、米農家の高齢化が進行しているのみならず、農家の数は減少し、結果、米の生産量も昔に比べ相当減少している。
そうすると、米騒動の原因は、国の政策の失敗といえる。
ただ、農家から直接米をいただいている私には、米不足の実感はなく、例年どおりだった。9月になると、米が収穫できるため、多くの農家は8月くらいを目安に、市場に出す米を売り切ってしまう。従って、8月は前年度の米が入手できなくなるため、私は早生の米を作っている農家から新米をいただいてるのだが、今年はそれをいただかなくてもいいくらい米の在庫はあるようだった。
無論、それは私が知っている範囲のことだけであって、実際は地域ごとに違うと思う。でも、報道に流されずに立ち止まってすぐそばを眺めると、実際の景色は全く違うのかも知れない。
とはいえ、米は十分あるわけではない。現在国は防衛費を増やし、戦争ができる状況に進めている。ところが、有事の際、最大の国防は武器ではなく、食であるにも関わらず、国内の米の備蓄は、わずか1.5ヶ月分しかないと試算されている。
まだ今なら、米の増産は十分可能だ。
ものすごく微力であるが、私にできることは近くで頑張っている農家をずっと続けてもらえるように買い支え、仕事で支えることだと思う。

農家が忙しい夏場は、私の仕事は基本的に閑散期に入る。なのに、先月はおかしいくらい忙しかった。現実逃避で、一冊だけ本を読んだ。
内田也哉子さんの『BLANK PAGE』という本だ。
本書は、両親である樹木希林さんと内田裕也さんを同時期に亡くされ、事務手続き等に追われ悲しむ心の余裕すらなかった也哉子さんが、心の空白を埋めるため、会いたい人に会う旅に出るというものである。旅の発端は、夫の本木雅弘さんに旅に出ることを提案された何気ない一言にある。

本書は、也哉子さんと養老孟司さんの対談を読みたくて手に取ったのだが、思いがけず一番印象的だったのが、小泉今日子さんだった。
今日子さんが14歳で芸能界に入った理由は、アイドルになりたかった訳ではなく、お金を稼ぎたかったからだそうだ。稼ぎたかった理由は、父親の会社の倒産と、両親の離婚による一家離散のため、中学生が働ける唯一の場所が芸能界だったからという。
悲劇のヒロインに陥りそうな状況なのに、働くという発想になるところが、どこにでもいる少女ではない。

私にとって小泉今日子さんといえば、連続テレビ小説『あまちゃん』のパンク母ちゃんのイメージが強い。
アイドル時代の今日子さんの歌というと、全く思い浮かばなかったが、ただ一曲思い付いのが『My Sweet Home』だ。私は、この曲を、サラリーマンが愛しの我が家に帰宅する情景を歌ったものだと思っていた。
ところが、子どもの頃のおぼろげな記憶を頼りに、この機会に改めて調べて聴いてみたら、全然違っていた。家族と離散した今日子さんが、もう戻らない家族との幸せだった日々を思い出している歌だった。
今日子さんの本当のところを知ってしまった気がした。

この曲を聴いていて、思い出したことがある。
なぜか母とふたりで祖父母の家に泊まっていた早朝、幼稚園児だった私は、「家に帰るよ」と、母にたたき起こされた。
前日の深夜、祖父と母は大喧嘩をしたのだ。喧嘩の理由は分からないが、その際、祖父から「もう二度と来るな!」と怒鳴られていたのを私は夢うつつに聞いていた。
まだ暗い明け方、祖母が見送る中、駅に向かって歩いた。
始発電車の中で朝日を見つめながら、私はもう会わないであろう祖父母に向けて永遠のお別れをしたはずだったが、なにもなかったかのように関係は続いた。

母に、昔こういうことあったよね、と聞いたら、覚えていなかった。理由は、同じようなことがありすぎて、どれか特定できない、だそうだ。
なんだか樹木希林さんと内田裕也さん夫妻に近いものがある祖父母で、観察する分には面白いけれど、親としては敬遠したいふたりだった。

つい最近、家族と鯉に何のエサをやるかという話をしていて、満場一致したのが、麩という答えだった。
祖母は動物が嫌いだった。祖父は動物が好きなのではなく、動物にエサをやることが好きだった。
エサは何種類かでパターン化されていたけれど、概ね変わらなかったのが鯉には麩、サルにはリッツクラッカーだった。
これは、家族の暗黙のルールのように、今も継承されている。
祖父は私たち孫を色んなところに連れていってくれたが、必ずあるイベントは、動物にエサをやる、だった。
祖父はリッツクラッカーを買いだめていた。今考えると、リッツクラッカーをあげていた動物は、サルだけではなかったのかも知れない。

祖母は、私たちが帰宅するとき、リッツクラッカーの箱を持たせてくれた。
そんな翌日の我が家の夕飯は必ず、リッツクラッカーの上に卵のスライスと、オイルサーディンを半分に裂いて載せたおかずが登場した。それは、私たち子どもの好物だった。
私にはそんな些細だけれど、懐かしい、もう二度と戻らない家族の情景がある。

家族であれ、職場であれ、ある共同体に所属してから一定期間は得るものが多い。ところが、ある時期を過ぎたら途端に、失うものが多くなる。
多分、人生の目に見えるもの全ては、得るも失うもプラスマイナスゼロで、結局何も得なようにできているのだろう。
でも、小泉今日子さんの言う、『心の中のMy Sweet Home』があれば、例えどんな状況になっても、また心をリセットして歩き出せる。
残るものは、そんな経験の積み重ねだけなのだろう。

(完)


本記事は、以下の楽曲、文献を参考にしました。

Mr.Children『フェイク』

内田也哉子『BLANK PAGE』

小泉今日子『My Sweet Home』


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