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働くということ

働くということ


このブログを読んで下さっている方の中には、心の病を抱えておられる方もおられると思います。そして心の病を抱えていても、「働きたい!」という思いを持っている方もおられると思います。

そんな方に、今日は、「働くということ」、「オープン就労で働くということ」について書きたいと思います。

そもそも働くってどういうことなのでしょうか?なんのために働くのでしょうか?元日本通運株式会社常務理事(CIO)で、グリットコンサルティング豪壮会社代表の野口雄志さんは、働くことをこう定義されています。①「働く」とは「はた(傍)」を「らく(楽)」にすることである。②「働く」ことが喜びを創出している。③「働く」ことが自分の成長につながる。④「働く」ことが社会の役に立っている。⑤「働く」ことで自分の一生に何かを残せる。

働くことは周りの(傍の)ためでもあり、自分自身の喜びや成長のためでもあるのです。

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ずっと働きたかった私

振り返ってみたら、私はずっと「働きたい!」と思って生きてきました。

初めてアルバイトをしたのは、高校生の時。お花屋さんでアルバイトをしました。水やりが大変でした。

高校生でありながら、「大学生です」と嘘をついて、プールバーで働いたこともあります。高校の先生にバレて、このバイトはすぐにやめました。

大学生の時はいろいろやりました。・家庭教師。・塾の講師。・交通量調査員。・新聞の世論調査。・国際会議のスタッフ。・日本料理店のホール。・ダイビングショップのスタッフ。

本当に色々やりました。

大学3回生の時に一人暮らしをすることになって、生活費を稼ぐためにパブで働きました。今でいうガールズバーでです。そこにお客さんとして来ていた元夫と出逢い、結婚することになりました。

結婚してからは、元夫が僧侶だったため、お寺の仕事を手伝いました。お寺の仕事と家事育児だけでもとても忙しかったのに、「働きたい!」「自己実現したい!」と思った私は、自宅で、児童英会話教室を開きました。ありがたいことにたくさんの生徒さんが来てくださいました。

とても充実した、幸せな日々。でも毎日の睡眠時間は3~4時間ほど。その睡眠不足と過労に実家の悩み事が重なって、私は統合失調症を発症してしまいました。

追い詰められて離婚して、両親と弟たちがいる東京で暮らした私。この頃は病状が悪かったのですが、「働きたい!」ではなく「働かなければ!」という状況で、もんじゃ焼き屋さんや輸入食品のお店で働いたりしました。

でも、体調も万全とはいえず、しかも東京のスピードについていけませんでした。当時住んでいたマンションの家賃は135,000円。貯金がどんどん減っていき、精神的に追い詰められてしました。精神的に追い詰められたことと、息子たちに会えない淋しさと辛さから、自殺未遂をしてしまいました。

東京での日々は本当に辛かったです。東京での暮らしに見切りをっつけて、京都に戻ることにしました。

焦っていた私

京都で伯母の家に居候させてもらいながら、就労準備デイケア(当時)の「こころの増進センター」に通いました。そこで、病気のことや就労についての知識を得ることができました。同じ統合失調症の方達にも出逢いまいした。

「働きたい!」という気持ちを持ち続けていた私は、「こころの増進センター」を退所後も色々な仕事をしました。・旅館の受付。・スーパーの品出し。・コンビニの店員。

でも、どれも長続きしませんでした。病状が安定していなかったのです。まだ就労する準備ができていなかったのかも知れません。今思えば、私はすごく焦っていました。

長く続いたのは、ホテルの受付でした。英語が生かせるこの仕事にはとてもやりがいを感じていましたが、ホテルが閉館することになって、辞めざるを得ませんでした。

「嘘つき」と罵倒されて

就労移行支援事業所にも通いました。就労移行支援事業所とは、障害のある人の社会参加をサポートする通所型の福祉サービスです。就職に向けた準備から就職活動や、就職後の定着支援まで、さまざまなサポートをするところです。

就労移行支援事業所を経て就労する方はたくさんおられると思うのですが、私はあまり合いませんでした。焦りが出ていたのだと思います。

ホテルへのスタッフを派遣する会社の仕事が決まって、就労移行支援事業所を退所しました。

この仕事は、得意の英語が生かせる仕事で、やりがいを感じて働いていたのですが、帰宅時間が夜の10時半頃になってしまい、体調を崩してしまいました。ドクターストップになり、辞めることになりました。職場にはすごく迷惑をかけてしまいました。

次に働いたレストランでは、とても辛い思いをしました。開店準備とホールの仕事をそのレストランではしていました。病気のことは言っていませんでした。

どうやってかはわかりませんが病気のことがばれてしまい、オーナーに呼び出されて、お客さんや他のスタッフの前で、「なんで病気のことを隠しててん!」「嘘つき!」と怒鳴られ、罵倒されてしまいました。私は思わず泣いてしまいました。悲しくて悔しくて泣いてしまいました。「好きで病気になったのではないのに」と思い、悲しくて辛かったのです。

やりがいのある仕事に出逢えて

ここまでの仕事はほぼ、病気のことを隠して働くクローズ就労でした。クローズ就労にもいいところもたくさんあると思うのですが、私には、「病気を隠している」という後ろめたさがいつもありました。

今、私は、高齢者の方向けの介護施設で介護補助の仕事をしています。統合失調症であることを開示してのオープン就労です。

仕事ですからもちろんしんどい事もありますが、やりがいを感じて働かせていただいています。利用者さんやスタッフさんに、「ありがとう」と言ってもらえるのはすごく嬉しいです。

「自分が必要とされている」「誰かの役に立っている」と感じられるのが、喜びになって、自己受容感や自己肯定感が高まりました。

色々なご意見もあるでしょうが、自分自身の経験から、私はオープン就労を勧めます。「病気を隠している」という後ろめたさがないし、体調などにも配慮してもらいやすいからです。

そして、「働ける自信がない」と躊躇している人には、「勇気を出して一歩を踏み出してみましょうよ」「あなたを必要としてくれる場所は必ずあるはずです」と伝えたいです。

今働いている場所があまりにもしんどいのなら、心が悲鳴を上げる前に辞めてもいいと思うのです。

就労への道はたくさんあります。自分を生かせる仕事はきっとあります。サポートしてくれるところもたくさんあります。

諦めないこと。勇気を出して一歩を踏み出すこと。

それが大切だと思うのです。そんな人たちを応援する活動もSafe Space ほっこりでやっていけたらいいな…

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最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

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