【10円はげと毒親】
ここからは、ぽつりぽつりと思い出だされる、私と毒親さんとの思い出をお話ししましょう。
私は小学6年生の夏に髪の毛がなくなりました。
それは、とある旅行先での出来事でした。
1番乗りに目覚めた私は、顔を洗うために洗面所に行くと、見覚えのない光景に鏡の前で気づきました。
「私のつむじって、こんなに大きかったっけ?」
嫌な予感はしていました。
偶然2番目に起床した母も洗面所にやってきたので、恐る恐る聞いてみました。
「あのさ、これって…」
少し大きめなつむじを見た瞬間、母はギョッと驚き急いでそのドアを閉めました。
「ど、どうしたの???」
ああ、やっぱりそうなんだ。
私の中で仮説が確信に変わっ瞬間でした。
母もまた小学生の時に、円形脱毛症になった経験がございました。
その話をきかされて育ったものですから、私も少しばかりの知識は持っていましたので、自分の髪の毛がなくなったことにさほど驚きませんでした。
母は、「何か悩んでるの?」「大丈夫?」と優しく声をかけてくれました。
「えーー何かなあ??」
と、私はとぼけたようにそういうのでした。
当時の悩みといえば、心配そうに私を見るこの母親が主でしたものですから、当人にそれをいうことはできず、ただただ不思議そうに演じておりました。
私は少し嬉しかったのです。
確かに、学校では髪の毛が生えていないことを必死に隠し、「バレたらどうしよう」などと考えておりましたが。
自分の髪の毛がなくなったことで、自分は本当に母のことで悩み、それが体にも影響を与えているのだという証拠になったのが、何よりも嬉しかったのです。
その後は、多発することも、再発することもなく、私の髪の毛は元の通りに生えました。
髪の毛が生え始めたある日、私は勇気を出して母に言いました。
「私の1番の心配は、(趣味)をクラスの誰かに見られることなんだよね」と。
その趣味は、はたから見ればすごいものでした。
しかし、やりたくないものをクラスの誰かに見られること、またその趣味にのめり込んでいる母を見られること、それが何よりも苦痛でした。
もしも、このことが母にわかってもらえるなら、私はこの趣味をやめることができる。
そんな期待を寄せて、意を決し母に言ったのです。
母は言いました。
「それは違うよ」
髪の毛がなくなった瞬間、私に「何か悩んでいる?」と優しく聞いてくれた母はおりませんでした。
母への相談とは、母もそうだと思うことでなければ、話し合うこともできないのです。
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