歌舞伎観てきました!4『籠釣瓶花街酔醒』
2024年2月歌舞伎座観劇。勘三郎追善猿若祭。(※別のSNSから移動分です)。
幕が開くと、満開の桜の下、まぶしいばかりの吉原の街が目に飛び込んでくる。ほーーっというため息が客席から聞こえるようだ。
はじめて吉原見物をしようかという田舎の商人・次郎左衛門(勘九郎)が吉原を見た驚きを、わたしたちは一瞬で共有できる。舞台のしつらえの見事さ。
次々に現れる華やかな花魁道中。最後に花魁・八ッ橋(七之助)が舞台奥、桜の陰から現れた時は、それはもうまばゆいばかりの美しさだった。
美しいとはわかっていたけれど、こんなに神々しいなんてと呆れる。そして舞台上の次郎左衛門もまた、八ッ橋の美しさに雷に打たれたように慄くのである。
そこから次郎左衛門の恋がはじまる。田舎者よ醜男よ、と馬鹿にされていた彼だが、金離れもよく律儀に、八ッ橋のもとへ通いつめ、やがて八ッ橋を身請けできるかも?という期待さえ抱くようになる。
が実は、八ッ橋には間夫・栄之丞(仁左衛門)がいる。次郎左衛門とは対照的なイイ男である。そして栄之丞は「俺という男がありながら身請けするとは何事か、次郎左衛門と別れろ」と八ツ橋に迫るのだ。
吉原には、花街の搾取の仕組みがあり、身も蓋もない言い方だけれど、花魁は男性に期待を持たせてお金を吸い取っている。一人の花魁にどれだけ多くの人がぶら下がっていることか。
「身請け」の仕組みも、最大限にその期待がお金に変わるしくみである。長く引き伸ばせば伸ばすほどお金になるし、どれだけ絞っておいても、かなわぬ場合もある。そんな仕組みの中で、純情な次郎左衛門の恋は、儚い。
商売仲間の面前で、八ッ橋に愛想尽かしをされる場面。急転する事態を飲み込めない次郎左衛門はおどろき、穏やかになだめすかし、呆然自失する。汗とも涙ともわからないものが勘九郎の顔じゅうを覆っている。
舞台上手では、じっとこの愁嘆場をこらえる八ッ橋。七之助の切れ長の目が、更に細く潤んでいる。
わたしの左目からは、どんどん涙があふれ出てくるので、これはあまりにまぶしい舞台を凝視しすぎたせいで目が痛いのか、舞台が開く前から、感動する準備はできていたんじゃないかと、自分に聞きたいぐらいだった。
この演目は勘三郎・玉三郎・仁左衛門でH22年に上演して好評で、シネマ歌舞伎にもなっている。今回、勘三郎さんの追善公演のキャストとして、仁左衛門さんが務められるのは、本当にふさわしくて、ありがたい。
これこそが追善なんだと思いながら、勘三郎さんの遺影にご挨拶しました。