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ここに映画があるから8 「PLAN75」
Netflix配信にて視聴。公開時には、正視できないと思って劇場に行けなかった作品。
PLAN75とは、75歳を過ぎたら自分で死を選べる政府の仕組みだ。10万円もらって最後に好きなことをし、安楽死施設のベッドで眠るように死ねる。そんな仕組みができた日本。この仕組みのおかげで国の財政が復活してきたという。
家財や風景は現代と変わりないので、近未来とも思えず切実感が増す。
主人公ミチ(倍賞千恵子)は78歳。少し前屈みになりわずかに足を引きずって歩く。団地の階段の一段一段にため息が出る。一人の部屋には青白い蛍光灯がささやかに灯っている。ミチはホテルの清掃の仕事をしながら自立して生きている。一緒にカラオケに行ったり食事をする仲間もいる。一人暮らしのミチに身寄りはない。不幸な結婚をし、授かった子どもも亡くなってしまって、再婚した夫ももういない。
そんなミチが、職を失い、長年住んでいた団地から立ち退きを迫られるようになった。だからといって殊更酷いヤツがでてきて、老人に酷いことをする映画ではない。ただ淡々と、身寄りがない老人は、こうなってああなってと描かれる。そんなある日、ミチは一人暮らしの友人が孤独死しているのを発見してしまう。
ヒロムは行政機関で働くPLAN75の担当者。親切で人当たりがいい。ヒロムの叔父がPLAN75に応募してくる。彼も身内とは付き合わず、身寄りがない老人だ。ヒロムが叔父の自宅を訪ねてみると、茶碗はたった一つ。何枚も献血カードを持ち、長崎、仙台、全国各地の橋を造って回ったと話す。そんな叔父に親近感を覚えるヒロム。叔父の声は父の声とそっくりだ。
この映画は、一人の人には、その人なりの積み重ねがあって人となりがある事を、丁寧な描写で物語る。わたしがわたしであり、あなたがあなたである、固有の理由があるのだと。
介護施設で働くマリアは、病気の子どもを母国に残し出稼ぎにきているフィリピン女性。高い賃金にひかれて安楽死施設で働き始める。ここで働く人の多くは外国人だ。マリアが、亡くなった人の身につけていたものを仕分ける描写に、アウシュビッツの非人間的な遺品置き場を思い出した人も多いと思う。そんな仕事は、外国人に任せてしまえというわけだ。
辛うじて彼女には、電動自転車をくれたり、病気の娘の治療費を寄付してくれる同郷のコミュニティがある。
3人の人生はほんの一瞬交錯する。
わたしたちは未曽有の高齢化社会という、先の見えない未来を生きている。ミチの目を通して見る陽の光の美しさや、鳥の鳴く声、冬の震える空気が、この映画の答えなのだろう。