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歌舞伎観てきました!3『義経千本桜・渡海屋、大物浦』

2022年二月歌舞伎座にて観劇。(※他のSNSからデータ移しました)


片岡仁左衛門 一世一代にて相勤め申し候

仁左衛門さんが一世一代と銘打った最後の義経千本桜「渡海屋」「大物浦」です。コロナで突然休演になることもある昨今、また、仁左衛門さんの体力が持つのかも気がかりで、やきもきしながらこの日を迎えました。

一世一代とは、もうこのお芝居は演じませんと封印することです。体力的に厳しいとか役柄に合わない年齢になり過ぎたとかが理由です。このたびの「大物浦」は装束は重いわ、縄を体に縛り付けて投身するなんてことをするので、もうお終いですよと自分で自分に言わねば、好きなお役だからいつまでもやりたくなってしまう、と仁左衛門さんがおっしゃっていました。

この話は、壇之浦で入水した安徳天皇と知盛が実は生きていて、義経に復讐を企てるという物語です。知盛は、平清盛の息子で平家随一の武将。(安徳天皇は知盛の妹・徳子が生んだ子で、知盛にとっては甥っ子です)。復讐される側の義経も、兄・頼朝に追われる身であるというところが、ミソ。

仁左衛門さんは最初、船問屋の主・銀平として、くだけたいなせな男ぶりで登場します。煙草を吸う姿も決まりすぎて目が釘付け。隣で、隼人さんと又五郎さんが魚尽くしを言っているのだが、全然耳に入ってこないようぅ。

いざ義経討伐に出かけようかという時の知盛は白銀の武者姿。

実は私、1列目の右寄りの席だったので、仁左衛門さんが舞台右手の障子の陰に引っ込んだ時から、「あぁ、次は麗しい武者姿でここから出て来られるんだな」とわかってワクワクが止まらず…。バーンと障子を開けて現れたときは、のけぞりそうでした。もう神々しいとしか言えない。さっきまでのいなせな色気がすっと消えて、張り詰めた崇高さが、のちの悲劇をあらかじめ教えてくれるようで、すでに泣きそう。

知盛が出立したあとの舞台は、安徳天皇と側仕えしている典侍の局や、官女たちが、海を見ながら知盛の勝利の知らせを待つ時間。典侍の局役は片岡孝太郎さん。

昔は、町娘や女房の役やちょっと軽めのお姫様が合っているなと思っていたのですが、最近、品格のある役に、重みが出てきました。ほんとうに心を込めて、些細なタイミングも逃さず、きめ細かに演じていらっしゃるのがわかるので、引き込まれます。

海に浮かぶ船の灯りが、ひとつ消えふたつ消え、配下の者によって、知盛の劣勢が伝えられたあと、女官たちが次々と入水します。典侍の局は安徳天皇にむかって「波の下には、極楽浄土がありますよ」と言って入水を怖がらないようになぐさめます。そこに義経がきて、二人はとらえられてしまいます。

そしてさきほどの白銀の武者姿から、一転、髪はほどけ、体中に矢が突き刺さった血まみれの仁左衛門さんの登場!このお芝居の見どころは、経過が省かれ、次に登場したときには、まるで別の姿になっていることと、それでも経過が手に取るようにわかるところです。たけり狂う瀕死の動物のような知盛。息ぐるしさで、かすれる声。激しい恨みだけが、知盛をまだ生かしている。そんな知盛に安徳天皇は、知盛のこれまでの情けに感謝し、今は義経の情けを受けるといいます。「仇に思うな」と。

それを聞いた途端、知盛は平家のおごりを嘆き、安徳天皇を義経に託して、死を受け入れるごとく岩場を上っていきます。大繩を体に縛り付け、二度と浮き上がらないようにと重い大碇と共に海に身を投げる、知盛の壮絶な最期です。

観ているわたしたちは安徳天皇を託された義経もまた、兄に追われる身となって流浪の果てに、悲劇的な最期を迎えることを知っています。

帰る道々、平家物語の
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」

という言葉をしみじみと噛みしめた舞台でした。
すべては、儚くまたとない。

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