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【思想】果てなきポリコレ論争に終止符を

ポリコレの話題、いい加減ウザいよな。

ちょっと登場人物が美男美女じゃなかったり人種・性的マイノリティにフォーカスが当たる程度のことでポリポリコレコレやかましいオタク!

マイノリティであること以外に何のアイデンティティも無いハリボテキャラが批判された程度で「差別主義者」とキーキー喚く自称リベラル!

マジで危機感持った方がいいよ、厳しいって。 

一般向けの創作に過剰なポルノ性を求める萌え豚と「正しさ」という観点でしか作品を見ていない頭でっかちがピーピー騒ぐのは日常茶飯事だが、そういった話が話題の中心になってしまい、マトモな作品語りが困難になるのは、多くの分別あるプレイヤーにとっては好ましくないはずだ。

今回の文章の目的は、そういったクソやかましい野良ポリどもを保健所にぶち込み、清らかで美しいインターネッツを取り戻すことにある。

昨今の反吐が出るポリコレ議論(笑)にウンザリしている人にはぜひ最後まで読み進めてほしい。

ポリコレ議論が覆い隠すもの

AAAクラスの新作がコケた時にポリコレを理由に死体蹴りされるのが恒例行事と化している気がするが、その指摘は本当に適切と言えるだろうか。

たとえば商業的核爆死が記憶に新しい2024年の『CONCORD』に対してポリコレと絡めた批判をネット上で散々見かけたが、あの作品の本当の問題はポリコレ以前の部分にあったように思う。

それはヒーローシューターという強豪ひしめくレッドオーシャンに飛び込んできた新規IPとして、ライバルと明確に差別化できる強いアピールポイントを有していなかったことではないだろうか。

僕はこのジャンルについてあまり詳しくはないけど、ピークは過ぎたものの圧倒的な知名度の高さを誇る『APEX LEGENDS』や、このジャンルのパイオニアとも言える『Overwatch 2』、そして現状おそらく最も人気のFPSである『Valorant』といったタイトルは流石にパッと頭に思い浮かぶ。

『CONCORD』の問題としてまず挙げられるのは、上記のタイトルがFree to Play(基本プレイ無料)というスタイルを取っている中で4,480円の買切りという強気な価格設定を行ったことだろう。

プレイ人口の多い人気タイトルが無料で遊べる中、数千円を払って新規IPに移るというのは、よっぽど新しいゲームに対する好奇心が強いプレイヤー以外にとってはハードルの高い行為だ。

そして『CONCORD』には、その高いハードルをユーザーに越えさせるだけの魅力があったか?

たとえば2024年ににリリースされたヒーローシューター『Marvel Rivals』は、競合と同じくF2Pという土俵に立った上でMARVELという既にブランドと人気の確立されたキャラクター達を使用できることに独自の強みがあったと言えるだろう。

発売から2週間でサービスが終了してしまったこともあり、僕は『CONCORD』をプレイできていないけど、PVを見る限りでは本作ならではの目新しい要素は見当たらず、「よくあるヒーローシューター」の域を出る感想は思い当たらなかった。

そうなると語れるものはルックの話くらいしかないわけだが、本作のキャラクターデザインには擁護しがたいものがある。少なくとも僕はそう。

率直な感想としては華が無い。僕がザッと見て目を引かれたのは、サザエさんみたいな頭をしたバズくらいだろうか。出オチ感は否めないが。

他のキャラも奇抜ではあっても、それをクールであったりキュートであったりに昇華させるだけのポップなデザインセンスは感じられない。

本作の表現について何か言うとすれば、ポリコレが作品を悪くしたというよりも、単純にキャラクターデザインの力量の問題だったと僕は思う。

結局、ルックスは人が一番最初に見る部分であるわけで、そこで何かしら人を惹きつけるだけのものを提示するのは不可欠だろう。多数派とは異なるオルタナティブな価値観を示したいのなら、それ相応の努力が求められるのは言うまでもない。

本節の結論として言えるのは、確かにポリコレ的な側面が作品の足を引っ張ることはあっても、それ自体が失敗の主要因と断言できるようなタイトルはそう多くないし、その単純な論の運び方は作品を語ることをつまらなくする、ということだ。

没入へのノイズ

僕たちが作品世界に没入するには、そこに確固としたリアリティが必要だ。特に大人が鑑賞することを想定した「まじめな」作品ともなると、ちょっとした違和感でさえがノイズになり得る。

そして、その「違和感」に何かしらの政治的な意図を感じると、急に世界が作り物のように見えてしまって白けてしまう。少なくとも僕はそう。

たとえばポリコレ論争が最も白熱したタイトルの一つである『The Last of Us Part II』は、そういったノイズが酷く生じるせいで物語やゲームプレイにのめり込めなかったのを今でも覚えている。

ジェシーという哀れなアジアン男性を覚えている人がどれだけいるだろうか。レズビアンのカップルに子供を授けた以外に大した見せ場もなくアビーに瞬殺されて物語から退場した彼のことを。

アビーといえば、ゾンビまみれの農畜産業が崩壊していそうな世界で彼女があの筋肉を維持するだけの食糧をどうやって確保していたのだろうか。

同性愛者を揶揄するモブは登場したけど、この世界のアメリカでは人種差別について全く触れられないのはなぜなんだろうか。同じ年に起きたコロナ禍ではBLMが一大ムーブメントになっていた気がするけど、ゾンビと肺炎じゃ話が違うのかな。

分かってるよ、ぜんぶ「難癖」だよね。

だが、リアルな世界や国家をベースとした世界観でセンシティブな領域に踏み込んで何か主張したいことがあるのなら、お花畑のような「正しさ」を描くことよりも、「間違い」だらけの現実から目を背けないことの方が重要だと僕は思う。 

どれだけ美辞麗句を重ねても有色人種は差別の目を向けられるし、細身の女性がマッチョになるのは難しいし、トランスジェンダーは肩身の狭い思いをする。これは紛れもなく「事実」だろう。

フィクションが虚構であることは否定しないが、そのウソに現実味を持たせるための努力すらも怠る作品のことをヨイショするくらいだったらゲームなんかやってないで政治活動に励むべきだ。

枝葉で語る傑作・駄作論

ぶっちゃけポリコレとかどうでもよくね?

どごぞの作品の馬の骨がブサイクだろうがアジアンだろうがゲイだろうがトランスジェンダーだろうが、僕の人生には全くもって何の影響もない。

現実問題として友人や家族から相談されたなら僕も真剣にどうした方がいいか考えるけど、フィクションのキャラクターなんか所詮は絵じゃん。

何事もバラエティがあるのは良いことだしね。

だが、アファーマティブ・アクション的に多様な属性の人々を均等に描写することに固執するあまり、作品としての価値を損ねるのなら話は別だ。

僕は「正しい」作品を見たくて貴重なリソースを割いているわけではない。余暇の時間を楽しく過ごすための「刺激」に満ちた作品を求めている。

だからキャラクターとして何の面白味もない「出演させていただいた」だけのマイノリティが登場すると思わず溜め息が漏れるし、その辻褄合わせのために無理のある設定や展開がねじ込まれると頭痛が痛くなる。これもう逆に差別だろ。

じゃあ、容姿端麗でおっぱいがデカくてスタイルの良い女の子がいっぱい出ればいいのかというと、そういうわけでもない。そんなキャラクターは世の中にごまんと存在するけど、それが作品の価値に直接貢献するとは言えないはずだ。

重要なのは、キャラクターに(ルックスも含め)プレイを牽引するだけの魅力があるのか、そのキャラクターが作品の中でどういった役割を担っているのか、他の登場人物や世界観と適切にマッチできているのか、といった点ではないだろうか。

同性愛者にフォーカスが当たっているから素晴らしいとか、エッチな女の子がたくさん出るから傑作に違いないといった言説は、その人のテイスト表明としては機能するが、作品評価としてはパーツの一つを作品全体の評価にスライドさせているという点で「浅い」と言わざるを得ない。

僕は作品の話がしたい。どこがどう面白かったのか、つまらなかったのか、なぜそう感じたのかを語りたい。それを「ポリコレ」の一言で済ませてしまうのはあまりにも味気ないし、退屈すぎる。

僕は多様性を否定しないが、つまらなければつまらないと言うし面白ければ面白いと言う。僕が愛しているのはポルノでも「正しさ」でもなく、刺激に満ち溢れたエンターテインメントだから。

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