病名が変わっても、行き着く先は『神経』か。(短縮版)
これはかなり私の主観で書くものである。
偏った考えである。
私は今年の初夏まで『境界性パーソナリティ障害』と誤診を受けていた。
しかし、私はPTSDの治療が受けられれば、別にパーソナリティ障害と言われ続けていても構わなかった。
昨今の、発達障害ブーム(言葉が悪い。わかっている)。
愛着障害ブーム。
そして現れた複雑性PTSDという言葉。
私はずっと昔から気になっていた。
病名が変わってゆくだけで、言ってることに大差はない。
私自身、
その時代その時代に書かれた本を並べて、
ずっと思っていた。
境界性パーソナリティ障害の境界とは。
神経症と精神病の❝間❞つまり、
その境界にあたるからつけられた病名。
何故、遺伝する?
当時は遺伝要素が3割くらいとされていた。
そして絡んでくるのは産まれ落ちたあと、
どう育てられるか。
つまり、言葉が悪いが❝良い親❞にあたるか、
❝悪しき親❞にあたるかで発症率が全く変わってくる。
それはつまり、いま境界性パーソナリティ障害と診断されている私は、遺伝のみならず❝悪しき親❞にあたったということか。
だとしたら、その悪しき親がそもそも何かしらを遺伝しているのでは?
『脳…?
いや、神経が別物では?』
私は自らの身体の造りが、正常なるものと違うと気づいてはいた。
遺伝のみで片付けてはいけない。
愛し方を知らぬものが、
何をどう愛せと言うのか。
愛着障害についての本や、うまく恋愛ができない人向けの本にはかならず幼少期に親に愛されなかった経験が元になり、『生きづらさ』に、つながると記述が出てくる。
つまり、綿で首を絞めるような。
じわじわとしたトラウマ。
終わらない鬼ごっこを永遠にやっているかのような。
殺されは…たぶんしない。
しかし、気を緩めたら…
その愛着障害ももう『複雑性PTSD』という言葉に置き換えてもさほど違和感は感じない。
そこで、逆の思考も出てくる。
親に愛されなかったが故に、擬似ADHDを引き起こすこともあるのだ。
神経がやられてしまったり、記憶しないほうが身体が安全でいられたりしたら、自然と落ち着きがなくなり、記憶も弱まる。
周りに常に気を配るが、それも行き過ぎればただの注意力散漫と叩かれる。
警戒モードが解除できないままいたら、発達障害と同じ症状が出るのだ。
私には病名に流行り廃りがあるのも少し不謹慎な印象を受けるが、医学とはそういう側面もあるのだろうと思っている。
脚光を浴びる必要もある。
社会に浸透しなくてはならない『考え方』を広めるには脚光も必要なのだから。
結局、病名などあくまで名前であり、いうなれば『記号』のようなもの。
私には、境界性パーソナリティ障害も発達障害も複雑性PTSDも愛着障害も、根っこの部分は同じに見える。
第四の障害…。
神経経路にまで深く潜り込み、人生を右往左往させる『幼少期に愛されなかったという事実』。
それは成長していくはずだった神経の芽まで摘み、人生まで蝕んでゆく。
私は長らく服薬していていた薬の関係で、妊娠は禁止されていた。
私は15年以上パーソナリティ障害と診断を受けていたから、自分が子を持つことに躊躇いがあった。
遺伝したら…同じ苦しみを背負わせることになる…。
今は発達障害と診断が降りているから、同じことを考えてしまう。
遺伝したら…同じ苦しみを味わうことになる。
自分が産み落とすのが全く別個体と分かっていても。
私は何度求婚されても拒んできた。
『産みたくない!
私は子供を産みたくないの!!』
もちろん相手に発達障害の傾向が強く出ていたから余計に怖かった。
何よりも、私の血(…あ、)は私が絶やすって決めていたから。
私はまだ30くらいのとき、未婚でもある程度の収入があれば養子縁組ができることを知って、少し調べた。
自分みたいに障害があるとなかなか稼げない金額だった。
私は子供が苦手。
だけど、悪しき親にあたった子や、
捨てられた子に罪はない。
私が知っているのは悪しき親のみだが、むしろ彼らと違う育て方をすればいい。
血が繋がってない子なら、
育てられるかもしれない…
私のエゴだけど。
結局、私はまだ子供の姿の私を育てている。
物理的にも、金銭的にも、親になどなれない。
まずは私が穏やかにいられることが目標だ。
私は病名より、原因を知りたい。
その気持ちが書物を引き寄せて、私なりの解釈ができあがった。
遺伝…生育環境…
神経…
私にとっては同じ病気みたいなものだ。
境界性パーソナリティ障害も、
愛着障害も、
複雑性PTSDも、
発達障害も。
根の部分は繋がっている。
私はどれだっていい。
見えている症状や、
周囲の困り具合で病名が変化するだけ。
私は私を育ててきてる。
大丈夫。
たぶん、次の仕事も人事担当者との面談までもうこぎつけたから。
…見切ったら、素早い。
つっよ😱