私がくどいワケ。
(あくまでも私個人の意見です。こういう考えの人もいるのだな、くらいに捉えてくださると助かります。)
私が虐待や毒親、発達障害についてくどくど書くのは、自分の発散よりも情報発信の必要性が原動力となっています。
noteを始めた頃は、自分が毒親育ちだと気づいたばかりの頃でした。
毒親から逃げ出した頃でした。
そして、毒親というより虐待だと気づいていき、去年自分に発達障害があるとわかりました。
これは一連に繋がっています。
そもそも、ウチのリョウシンが単に「精神疾患患者」と「発達障害者」の組み合わせで、やってはいけない事が理解できていなかったのです。
毒親である以前に、彼らもケアが必要な「障害のある人たち」でした。
そして残酷な現実ですが、発達障害は遺伝することも多いのです。
私は遺伝しました。
おそらく妹は私よりひどいミスが多い「ド天然」だったため、彼女も調べれば判るでしょう。
私自身は、発達障害であることをもっと早く知っておきたかったです。
就職できても、どれだけ頑張っても、努力しても、人よりミスが多いため、怒鳴られハブかれでした。
怒鳴られることによりPTSDに拍車が掛かって退職に追い込まれていました。
発達障害であることが判っていれば、その旨を面接で伝えることができました。
もちろん、それで落とされることもあるでしょう。
しかし、奥の倉庫で同僚に恫喝に近いことをされ続けることはなかったでしょう。
医療面での発達障害へのケアやアプローチも私には本当は必要だったと感じています。
発達検査の結果は本当に凄まじいもので、よくここまで生きてこられたねと医療関係者から同情されました。
私の発達障害は毒親、虐待の根本を疑って、毒親が「障害者」…それが遺伝した、という単純ですが残酷な現実でした。
発達障害は発見が遅れれば遅れるほど、私は不利だと感じています。
就職においても「自分にとってハードルの高いことが何か」を理解しないで飛び込んでゆくのはリスクが高いです。
ただでさえ、虐待された者の脳は怒鳴り声に過敏に反応します。
私がくどいほど同じことを書くのは、「毒親に悩んでいる方へのお知らせ」なんです。
「その毒親、発達障害かもしれませんよ?」
「アナタも遺伝しているかもしれませんよ?」
発達障害に対して風当たりの強い世の中。
生き抜いていくには、他の人がしないような努力が要求されます。
他の人とは違うスキルが要求されます。
だからこそ、私は「発見は早いに越したことはない」と考えています。
毒親ではなく、まずは自分自身をケアするために…。