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自分が助かったら。
以前、いや、ずっと前か…。
自分が虐待サバイバーだからこそ子ども食堂の手伝いがしたいと記事に書いた。
そこは、学校に行けない子らの集いの場でもある所で、私はその中に座り子らにもたれかかられたり、お話を聴いたりした。
当時は自分が「サバイバルしきった」つもりでいたのだ。
自分が助かって「もう大丈夫」と思って、子らの中にいた。
……助かってなんか、なかった。
私の思い上がりだったんだ。
溺れた者を救うことは、溺れている者には出来ない。
私はまだ助かってなどいなかったのだ。
自分の未熟さに嫌気が差す。
いつか、子らに「おにぎりを食べさせるだけの何にも言わないおばちゃん」になりたかった。
「おばちゃん、わたし梅干しヤダ」
「んー、じゃあ鮭フレークで握ったるわ」
好き嫌いを言うことすら許されなかった私は、子の好き嫌いに目くじら立てないおばちゃんになりたかった。
11〜12歳くらいの子らが見ず知らずの私にもたれかかってきたり、まくし立てるように話し掛けてくる。
当時は「愛情不足なのかなぁ?」とニコニコしていた私。
……違う。
あの子達が学校に馴染めなかったのは…
…発達障害…じゃ…
反抗期に差し掛かる子供が息が顔にかかるほど至近距離で延々と語るだろうか?
反抗期の兆候がファッションから見て取れる子が、見ず知らずの大人にひっつくだろうか?
あれから1年弱経って、自分が衝動性が表面に表れないタイプのADHDであると発覚した。
自分がそうなんだと判ると、調べる。
ああ、あの子たちの距離感の「へんてこ感」はこれが原因かも…確かにイジメめられたりしちゃうかもなぁ…。
納得はした。
イジメには私もよく遭っていた(元々ソリストだから省けとかは大歓迎だったけど…)。
同時にモヤモヤした。
そういった子の居場所があるのは良いことなのに。
私の気持ちは複雑だった。
でも素直に思った。
「私のときは…あんな場所…なかったのに…」
恨めしい気持ちが真っ先に出て来てしまった。
見たくない、自分の醜い一面。
だけど、仕方ない。
あんな場所(安全な場所)がなかったのは❝事実❞だから。
ねぇ、恨めしいよね。
憎たらしく思うよね。
こんな場所で遊んでいるだけで怒られない…
ねぇ、憎たらしいね。
まずは自分の感情に寄り添うことから始めようと思った。
PTSDにある程度うまく対処できるようになったり、反応が緩やかになったら…
それからでないと。
もっと苦しいよ。
もっと溺れてしまうよ。
私は一旦、この施設に出入りするのは止めることにした。
自分が助かってないのなら、思い上がりもいいところだし。
何より、失礼だ。
ケガしている手を怪我人に差し伸べて、誰がその手を掴むものか。
自分の思い上がりを恥じると共に、まずは自分のケアをする。
自分にADHDの可能性が高いと診断されてから、よりそう思うようになった。
ただ……いま、私が受けている恩や暖かみを、いずれ誰かに分け与えられるくらい元気になれたらいいな、とは思う。
まだ、私は沖合で溺れている。