不気味の谷の哲学 philosophy on uncanny valley
おしゃれを作るインテリア論。
著名な建築家の哲学。
etc…
これが絶対の真理だと醸すあの雰囲気が少し不気味に感じる。
特に良いと思ってないのに語りだすからか。
そこそこその道に詳しくなっているからか。
その話に異議があるからか。
理論が強固になればなるほど排他的になるからか。
いや、これはもしかして哲学版「不気味の谷」なんじゃないかと思ってきだした。
語れば語るほど、
全部を言い当てようとするほど、
反例なく網羅的に構築するほど、
リアルに近づいて気持ち悪さを感じる。
綺麗さや正しさ、完璧を追い求めたその哲学に気分が悪くなる。
そうだけどそうじゃないものが内側へ近寄り迫る感じ。
具体的に言い当てれないけど、どこか違うのは感じる。
解像度が細かくなって、違いが言い切れなくなっている。
「分からないけど、どこか違う。」
これが不気味の谷の正体じゃないかと思う。だから明確に違うものと分かるものには嫌悪感は抱きにくい。それが近づきだして、似てきて、違いを言語化できなくなった時、不気味さが生まれるんじゃないか。違うのに違いを説明しきれないもどかしさ。
話はデフォルメがかかったぐらいがいいのかもしれない。もちろん不気味の先にも道はある。
(続く。ひそかに)
P.S. 本物志向というわけじゃないけれど○○風や○○調などフェイクなものへの思いも、この不気味の谷故なのかもしれない。 いろんなところでこの不気味の谷はあるような気がする。精通しているジャンルであればあるほど不気味さを感じやすいような気がする。
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