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成人っぽい成人

今日は成人の日。
法律上、成人は18歳からになった。新成人という。

なので成人式は「20歳の集い」のような名前に変更されて開かれるようになった。なんの式なのかよく分からなくなりそうな名前をしているけど、しっくりくる。この成人年齢の法改正に伴って露呈したのは「成人式」・「成人」という行事や言葉の形骸化だと思う。

クリスマスもハロウィンも、地域の祭りも、正月も成人式も、本来の開かれる意味などはあまり重要視されず、むしろ集まり楽しむことが目立っている気がする。まあぼくも正直、後者側の人間でいる。特に熱く語れたり、起源や歴史を熟知している訳でもない。ただ、単なるパーティーにするのは勿体無いなとも思っている。



1 | 成人?


成人か否か。
単なる法律用語としてだけなら話はシンプルだ。その域から出て、日常の言葉として使われて、「成人ってなんだ」ってなると話はどんどん複雑になる。

「今日からあなたは成人です。」
って急に称号を渡されても不安になる。

「あなたはもう大人でしょ。」
って初めて言われた日のもどかしさに似ている。

ちなみに成人を辞書で調べると、こう書いてある。

「心身が発達して一人前になった人。」

goo辞書

法律的に成人を解釈すると、こうなる。

社会的な責任が課せられる人。
社会的な自由が得られる人。

(自己解釈)

「心身が発達している」とか「一人前」とか、「責任」とか「自由」とか、いまいち釈然とするものではない。とりあえず、自分は「成人です!」と胸を張って言える自信は持てない。年齢だけで「成人」とか「大人」とかをただ決められたら楽だけど、まだまだブカブカのジャケットを着た成人っぽさが否めない。

成人という名の服に着せられている状態。
あくまでも、成人っぽい人。大人っぽい人。


2 | 成人レベル


成人とか大人とか、成人を迎えた人はLv.1ということにしてはどうだろうか。
別にレベルで人の優劣が決まるわけじゃない。ポケモンみたいなゲームのように、レベルやランクの上下で勝敗が決まらないのと同じ。

レベル上限がどこにあるかは分からないけど成人レベルを上げるには、たくさんの経験をすればいい。レベルの上げ方は人それぞれで、能力値やパラメータはゲームとは比較にならないほどたくさんある。限りある時間を何に使うかを考えながら、進んでいけばいい。

未成年から成人に進化すると、なんでもできるようになる。ポケモンでいう「そらをとぶ」や「なみのり」ができるようになった状態。楽しいに決まってる。成人になることで、どこにでもいけて、なんでもできる可能性を手に入れている。これからいろんな技や能力や経験を培って、成人のレベルを上げていけばいい。

レベルを上げて、やりたいこと、なりたい自分、理想や夢を叶えていってほしい。
そうすればきっと成人っぽさ、大人っぽさがなくなっているはず。

ただゲームと違うのは、セーブデータは消せないこと、やり直せないこと、痛さが伴うこと、たくさんある。現実の自分や相手を大切にしていってほしい。


3 | 成人式


成人式とか卒業式とか、行事というのは人生の中のある日に固定されていて、締切のように迫ってくる。そこに宿題や課題みたいな提出するものはない。迎える自分がどんな自分であろうが、否応なしにそのラインをまたぐ日が訪れる。逃げてもいずれ追いついてくる。できたこと、できなかったことを噛み締めて、次のステージに進まなければならない。すべて理想通りいった人なんていない。みんな何かしら後悔したり、不安を感じたりしている。

だから成人式は成人であることに自信がなくて当たり前。まだまだスタートしたてのLv.1の状態。成人式はそれに気づかせる行事。成人式の後に、昔のクラスメイトや友達や仲間と、これまでの出来事や経験を語り合えばいい。これからの旅路について楽しく盛り上がればいい。

成人式を人生を支える強い節目にしてほしい。




いつのまにか成人への祝辞みたいになってました。

偉そうにいいましたが、自分もまだまだ成人っぽさから抜け出せていません。今が何レベなのかも分かりません。「成人である、大人である」と胸を張って自分に言えるようになるには、まだまだ先になりそうです。たぶんみんなそんな感じ。

主観ですが、自分に正直で努力家、あるいは行動力のある人ほど成人レベルは高いように思います。

では共に成人・大人を目指してがんばりましょう。

#新成人へ



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