9月28日
9月28日
ベッドを整えたら、洗面台横の蚊取線香にマッチで火を点ける。マッチを使う理由は、それがライターよりも原始的な道具であり、そういうものを使いたいからである。スイッチひとつでオン/オフの出来る商品ではなく、「マッチで線香に火を点ける」という習慣を私は気に入っている。
やかんにたっぷり湯を沸かし、沸騰を待つまでの間に洗顔をする。口の中を水で1度すすぎ、歯ブラシに歯磨き粉をつけてしっかりと歯を磨き、さらに2度、水で口をすすぐ。顔を水で洗って、ハンカチタオルで拭く。
やかんに沸いた湯は保温ポットに移し替え、コップに一杯のチャイを淹れる。早朝はコーヒーよりもチャイを飲む事が多い。コーヒーは一日二杯までと決めている。早朝は脳内に自然な覚醒物質が出ている事を聴いて、最近、コーヒーを飲むのは正午頃以降にしている。チャイは粉末のものを使っている。
蚊取線香を窓際に移して、その横に座布団を置く。厚みのある座布団を使い始めてから、そこに座るのが私のささやかな楽しみになった。朝のさわやかな空気と柔らかい光。蚊取線香の煙は自由自在に形を変え、流れて行く。
座る事は色々なものを気づかせてくれる。私の場合、体調が悪い時にはまず座ること自体が出来ない。姿勢を正してただ座るというだけなのに、そこには気力と体力が必要とされている。じっと動かず、停止する事を、人間は苦手とする。何か常に動作をしている状態に依存している。特にスマホやテレビは依存性が強く、それが無い状態では、現代人は違和感を覚えて落ち着きがなくなる。
であるからして、座る事ができたらもうその時点で、一つ別の世界にいる。と私は思う。頭の中が低次元な物事に満たされていようと、座る事が出来ただけで、既に価値がある。姿勢を正すことは、やはり難しい。気がつけば背中や肩が曲がっている。顎が前に落ち、猫背になっている。身体と頭の中は繋がっていて、姿勢を正した状態ではあまり不安を感じなくなる。不安や悩みを想っているなと気づいたら、「顎を引いて、背筋を伸ばす」事をすると、悪い思考は一度そこで途切れる。
座る時には、私は音楽を聴かない。
色んな方法、色んなリラックスの仕方があると思うが、座る間は、どんな静かな音楽であっても聴かない事にしている。私にとっては音楽を聴く事もやはり、「何かをしている」状態なので、座る事の効果が薄れるような気がする。その方が、なんとなく価値がある気がする。あくまでもなんとなく、というレベルである。時計や冷蔵庫が動いている音、車が走っている音、鳥の声、隣人の生活音や話し声、どこかのテレビの音などが聴こえてくる。聴こえてくるものを聴いてみる。完全な無音である場所は、街にはなかなか無いのだな、という事に気がつく。
朝は一番気持ちの良い時間帯。一日中、朝だったら良いのにな、と思う事も時々ある。