命をいただいてしか生きていけない
夏にたくさんの実りを捧げてくれた畑を耕す時期が来ました。
私はこの畑を耕す作業が好きです。
生きているトマトとかナスとかまだ生きられそうな植物に一つ一つ感謝を込めながら引っこ抜いて土を掘り起こす。
掘り起こされた土の中にはたくさんの命が暮らしていて
それぞれの生活をしてる。
根菜は引っこ抜くときにたくさんの命が奪われるから食べないというフレーズを聞いたことがあるのですが、根菜だけでなくてもたくさんの命に支えられて野菜は作られている。
あ、ごめん。って思いながら土を掘り起こす。
私が作物を育てるためには、土を掘り起こして空気を入れてっていう作業は不可欠でやらないと育たない。
もちろん、そうしない方法で農業をしている方もいるのだけれど、苦労が多い割に食い扶持が少なくなる。
自分の命と美味しさを求めるとどうしても土を耕すことになる。
掘ると土の中には空気とたくさんの日差しが届く。
無数に絡み合った根っこも取り除けば、新しく植えられる作物は育ちやすい。
塊も潰してフカフカにする。フカフカになった土が太陽を集めてほかほかになる。そこに腐葉土をや鶏糞、石灰を入れる。うまく育てるためには必要な作業だけれど、そこにも矛盾を感じながら・・・
農地に使われる石灰は山を切り崩して使われる石灰と牡蠣殻とかあるみたい。
私は牡蠣殻と後は海苔やお煎餅に入ってる石灰をたくさん集めておいて畑に撒いている。
矛盾だらけだと思いながら、何かを犠牲にして自分の命も大事な家族の命も支えているとしみじみ思う。
この懺悔に近い気持ちと感謝を味わいながら畑を耕す作業がたまらなく好き。
無理矢理、ハート型っぽいトマト。
全部抜く前に一つ一つ収穫していたら、ハート型のトマトが。
Thanks for all,
命をいただいてしか生きていけないから、せめて色々なことを真っ直ぐ見つめて
せめて感謝しながら生きて行きたい。
夕日に映える彼岸花