東京23区に73か所!すべての富士塚をめぐる挑戦 [8]品川富士(品川神社)
東京都品川区にある品川神社に今回はお邪魔いたしました。最寄り駅は京浜急行新馬場駅北口で、そこから徒歩1分のところにあります。
京浜急行に乗るためにまずは品川駅に行きます。
品川駅は大きくていろいろな出口があって間違えると全く反対に行ってしまい、遠く離れてしまうので気をつけなくてはいけません。(私はかなりの方向音痴です💦)
京浜急行線に乗っている電車の窓からもうすでに富士塚がみえてきました。
品川神社は駅を降りて、本当に目の前にあります。
ここは東海七福神の一つである、
大黒天様が祀られているところでもあるとのこと!
比較的新しめの立派な石像があります。
品川神社は新東京百景にもえらばれているのですね。
ん?新東京百景とはなんぞや?
こんなふうに東京の景色が公募で選ばれていたなんて知りませんでした。
皆さんのお住まいのご近所やお気に入りの場所などが、この百景に入っていますでしょうか?
富士塚がある神社として品川神社の存在をしりましたが、今回行ってみましたら、他にも見どころがたくさんあり、とても楽しい場所でした!
まずはまずは、この鳥居!
龍が巻き付いているんです!
こういう鳥居は双龍鳥居とか昇龍降龍の鳥居と呼ばれているそうです。
私はこういう鳥居をはじめてみました!
こういう鳥居は日本全国に結構あるようなのですが、
東京にはこの品川をいれて3か所しかないとのこと。
東京三鳥居ともいわれているそうです。
あとの二か所は
●馬橋稲荷神社(東京都杉並区阿佐ヶ谷南2-4-4)と
●宿鳳山高円寺境内の稲荷社の石鳥居(東京都杉並区高円寺南4-18-11)
にあるそうです。
今回は行けなかったのですが、近々お邪魔して実物を見てみたいなあー!
昇龍にさわるとご利益がある!と聞いていたので、触ってみたい!と、挑戦しましたが、龍は結構高いところに位置していて、手がとどきませんでした。残念〜。
さて、石段を登り始めると、中腹左側に鳥居があるのをみつけました。帰りに寄ろうかな?と思いましたが、近寄ってちょっと見てみましたら…
「猿田彦神社」という文字が!
猿田彦という神様の存在のことはずいぶん前に知りましたが、でもあまり詳しくなく…
「一番最初にお導き下さった神様」ということで、特別な神様ということは感じていました。
巣鴨猿田彦大神庚申堂というところが比較的我が家からも近いこともあり、ちょっと特別な思いで崇めておりました。
手塚治虫の「火の鳥」にでてくる「猿田」という人物のこともいつも思い出します。
しかもどうやらここが富士塚のスタート地点だったようで驚きました!覗いてみてよかったです!
猿田彦大神は道案内だとか旅の神様といわれているので出発地点にいらっしゃるってことなのですね。でもこういう富士塚はいまのところここしか知りません。(あ、でも鳩森神社の千駄ヶ谷富士に行ったとき、神社の近くに猿田彦大神が祀られていたなあ…)
富士塚の周りをかためていくように関連石碑がいろいろあります!
興味深いです!
わあ、アイテムがたくさんあります!
これは役行者(実在したといわれる山岳信仰の修行者)が鬼たちを従えている石像!この鬼たちは夫婦なのだとか。前鬼、後鬼というらしいです。
ここからの道は高く険しくなっていき、緊張します。写真をとりながら登るのはちょっと怖いくらいでした。
頂上につきましたあ!
おお!真ん前に京浜急行が走る姿がみれます!
ここからの眺めはかつて東京湾がひろがっていたとのこと!ということは昔の地図でみたら海になっているんですねえ!
ああ、そんな頃の切り絵図もみてみたいなああ。
品川神社のお山開きは毎年7月1日に近い休日になるようです。この頂上で儀式が行われるらしく、神主さんによる神事が行われたり、講の儀式もされるようです。
いつかお山開きにもお邪魔してみたいなあ。
あれ?
頂上にはなにもなく、(いや、旗をのぼらせる塔?みたいなものはあったのですが)祠がなかったのでアレ?と思いました。下をみたらなんと祠らしいものを発見。どうしてあそこに?
うえからのお辞儀で失礼いたしました。
下山した場所にかえるさんがいらっしゃいました。
その横に浅間神社の社殿が。
ここは狛犬が何体もあり、いろいろに特徴がありました。
この狛犬なども姿勢が珍しいもののように思えたのですがどうでしょうか。
台座に冨士山がつくられていて凝っています。
富士塚つながりでnoteにお邪魔させていただいていただいております、komajinさんは狛犬の面白いことをたくさん書いていらっしゃいます!
とても興味深いnoteをたくさん読ませていただいております!
komajinさんの記事を読んでから、狛犬もみるのがたのしみになりました。
でも知識がなくてこれはなんだろう?ばかり。
komajinさんのnoteで勉強しよう!!
こちらの狛犬は素材もかわっていますね。破損を修復しているのもいたいたしいのですが、かなり忠実にもとのすがたを再現しています。
ちょっと日本のものではないのかなあ?という雰囲気も感じます
本堂の鳥居をくぐる手前の右側にちがう鳥居があり、そちらも見に行ってみると・・・
小御嶽神社ではなく御嶽神社ではあるけれど、講の文字がある石碑がまわりをとりかこんでいるので、ここは富士塚関係のものだと思われます。
でも5合目というのは・・・
あ!そうかあ
さっき、猿田彦大神様のところから登ったのは階段の中腹からで、少し登って5合目がありましたが、あの5合目の位置がきっとここと地続きになっているんだ!と思いました。
すごい、この広い敷地をすべて本物の富士山の場所と同じように考えてつくっているのかも!
面白いなあ!とワクワクしてきました。
この狛犬は子犬と一緒で愛らしい!
ここにはいろいろなアイテムがほどこされていました。
かっぱやかめ、水は龍の口から!
みんな水に関係していますね。
水神様たちということかなあ。
ここからは阿那稲荷社にむかいます。
上社と下社があるとのことで、まずは上社にむかいます。こちらは上社の入り口です
右に降りていく鳥居がつづいています。
御狐様がまわりに何体がいてお守りくださりながらおりていきます
下社には本殿と石碑の稲荷社、社殿内には3つの小祠と一粒萬倍の泉があります。
鎌倉の銭洗い弁天を思い出しました。
わあー。楽しい!こういうの大好きです!
さっそくお金をかごにいれてお水をかけます
この社殿のなかは天井や壁にいろいろな装飾がされ、当時のままに残されているのだと思われましたが、厳かで美しい空間になっていました。
昔のままの雰囲気がとてもいいなあとうっとりしました。
神様のおうちにお邪魔したようなありがたい気持ちになりました。
この品川神社は東京十社に入っているのですね。
我が家の近所にあります、王子神社もありました。
このルートでもまた、いつかめぐってみたいなあ
今回、帰り道に、街にあった品川の地図で板垣退助氏のお墓の存在を知り、品川神社をとおって板垣退助氏のお墓をお参りできたという事を知りました。今回は行けなかったため、他の方の写された写真を使わせていただきました。
1837年土佐(高知県)にうまれた板垣退助氏は倒幕運動や戌辰戦争に参加し功績をあげました。明治7年に愛国公党を結成し自由民権運動をおこしました。明治14年には自由党を結成して総裁となり近代日本の政党の基礎を築きました。翌年岐阜遊説中に刺客に襲われた際、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ言葉は当時の若者を感激させたそうです。明治29年から伊藤内閣や大隈内閣の内相をつとめましたが、明治33年に政界を引退し大正8年(1919年)に亡くなりこの地に葬られました。(一部文を短くしたりしております。 品川区教育委員会説明より)
現在の品川神社の敷地にはもとは東海寺の塔頭の一つである高源院という寺院があり、板垣退助氏は生前自分の墓はここに建てるよう希望したとのことで、意向通りこの場所に埋葬されたのだそうです。
関東大震災のあと高源院は世田谷に移されその跡地は城南中学校となりましたが、お墓だけはそのままこの場所に残りました。
ここは、品川神社の境内ではないのだそうですが、品川神社をとおらないと行けないようです。
切絵図もつかわれて高源院をしめされていましたものも使わせていただき、なんと!このnoteの富士塚のところでかかせていただきました、「頂上に登った時昔は眼のまえの景色に東京湾が広がっていた」という説を、この地図は証明してくれました!
見たかった切り絵図が見れて感激です!
たしかに右のほうに海がひろがっていますね!
さて、品川神社からそんなに遠くないところに恵比寿様が祀られていて、龍の像がみられるところがあると聞き、行ってみたいと思い、寄らせていただきました。
荏原神社というところです。
さて、期待の龍は…
いましたいました!
うわあ。結構迫力がありますねえ。
ちょっとこわい。
古より品川の龍神様として源氏、徳川、上杉等多くの武家の信仰をうけて現在にいたっているといいます。(荏原神社ホームページより)
古より当社に祈願すれば叶わぬことはないといわれ、勝運、学問、商売繁盛、交通安全、病気平癒、家内安全、恋等に特別の御神徳があるとのことです!(荏原神社ホームページより)
帰り道は電車にのらず品川駅まであるいてみました。
するとなにやらもりもりしたところがむこうのほうにみえます。
「開東閣」とあります。ここはなんだろう?
町の地図でみてみました。
御殿山というところ?
調べてみましたら、
「開東閣」は正式名を「三菱関東閣」というらしく、旧岩崎家高輪別邸とのこと!わああ。そうだったんだあ。
徳川家康が江戸城にはいってから、この場所にあったお城は「品川御殿」とよばれて、御殿山とよばれるようになったそうです。歴代将軍の鷹狩の休息地として、また幕府重臣を招いての茶会の場として利用され、桜の名所としても有名だったのだとか。
最もこの御殿を利用したのは徳川家光だったそうですが、1702年四ツ谷付近で出火した火事が青山から麻布御殿に広がり、品川宿でようやく鎮火。御殿は消失してしまったのだそうです。
だけど、こんな一等地にこんなに広い敷地が残されていて、当時の岩崎弥太郎さんのご繁栄とかも思うと、簡単に現代風の敷地にしてしまうのはもったいないですね…
このままに残されていくことが優雅な空間を保てるようで、是非残してもらいたい…
東海道品川宿!そうかあ、そういうところなんですねえ!ああ、詳しくないのが残念で恥ずかしい。
興味深いです!
1954年公開の初代ゴジラは、太平洋での水爆実験で太古の眠りから目覚め、東京湾から品川に上陸したという設定だったようです。
地図に描かれているゴジラをもとに周辺になにか記念プレートのようなものがないか調べましたが特になにもありませんでした。
後で知ったことによると、山手線のホームに記念プレートがあるとのこと。見に行ってみようかな!
品川神社で御朱印をいただきました。
富士塚のことは特に書いていなくて残念でしたが、
おもしろいことがたくさんつまった神社で、充実した時間をすごせました。
今回も長い長いnoteで失礼いたしました。
読んでくださりありがとうございました!