久々に富士塚へ行ってまいりました!
今回の富士塚は北区田端にある田端八幡神社の境内の中にあります。我が家では毎年新年に谷中七福神めぐりをするのですが、最終の7つ目に訪れる東覚寺というお寺の隣にこの富士塚があったことを今日初めて知りました!七福神めぐりはもう20年以上続けています。毎年すぐ隣に来ていたんだなあ!とびっくりしました。
特に表示もなく、情報をもちあわせていないと知らずに通り過ぎてしまいそうなくらいめだたない富士塚です。
今回は田端駅前にある「田端文士村記念館」もあわせてご紹介させていただきながらめぐっていきたいと思います。
この他にも田端に移り住んだ人物は数多く、わからない名前の方もいるのですが、私の知っている人をここに記させていただきます。
●直木三十五小説家・早稲田大学入学時に上京し田端には1年余り暮らした。
●野口雨情詩人・童謡、民謡作詞家大正9年に田端に転入。「十五夜お月さん」「青い眼の人形」「シャボン玉」など多くの童謡をつくった。
●野村万蔵狂言師・昭和11年田端に転入。息子の野村万作なども田端で幼少期をすごす
●小林秀雄評論家・昭和4年田端に転入
●サトウハチロー詩人・小説家・大正9年田端に転入。「ちいさい秋みつけた」など作成
●田河水泡漫画家・昭和4年田端に転入。「のらくろ」の作者・妻は小林秀雄の妹で作家の高見沢潤子。弟子に長谷川町子がいる。
●竹久夢二画家・詩人・大正10年田端に住んでいたモデルのお葉宅に寄宿。
●林芙美子小説家・大正13年田端に転入。「放浪記」で一躍流行作家になる
●平塚らいてう 社会運動家・評論家・大正7年田端に転入。
●二葉亭四迷小説家・翻訳家・明治37年約半年間田端に移住
●柚木久太洋画家・大正4年田端に転居。二男は染色家の柚木沙弥郎
まだまだこの他にもたくさんの著名人が田端に住んでいました。田端が「田端文士芸術家村」といわれていたことがとても納得できました。
この田端文士村記念館では文士芸術家たちの原稿、書簡、初版本、絵画、彫刻、陶芸などを紹介しています。
また、芥川龍之介が暮らした田端の家は30分の1スケールで復元された模型で紹介されています。
芥川龍之介の作品は有名なものがたくさんありますが私はあまり多くを読んだことがありません。しかし「杜子春」や「蜜柑」などはとても印象深い作品として心に残っています。
また、北区では令和8年度この家を芥川龍之介記念館(仮称)として開館することを目指しています。現存する資料を基に可能な限り忠実に芥川が暮らした家の中を再現し、来館者は再現された書斎にたちいることができるとか!その建設予定地にも行ってみました。
この場所のすぐ近くに看板をみつけました。
なんだか改めて芥川龍之介の作品を読んでみたくなってきました。
さて、田端の富士塚はここからもうすぐ近くにある田端八幡神社の中にあります。
下の写真で左側の階段をのぼると八幡神社の本堂で、右側にある緑色の鳥居が富士塚です。
誰もいなくて静かな境内でした。
この神社のすぐ近くに童橋、童公園というところがあり、この公園には室生犀星の苔と庭石があると知り、見に行ってみました。
公園で遊ぶ子どもたちがたくさんいました。
皆楽しそうでにぎやかでした。
田端文士村記念館ではマンホールカードがもらえます。
ここでは「のらくろ」のマンホールでした。
本物は田端文士記念館から歩いて10分もかからないと教えてもらい、行ってみることに。
坂を登りしばらく歩くと…
あ!ありました!
田端駅にはこんな看板も!