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【美術と日記】河鍋暁斎の絵日記のおどろきのおもしろさ!そういえば自分も記録を絵にしていたことがあったなと20年前を思い出す
河鍋暁斎という画家のことは知りませんでした。でも、この画家が残した絵日記を知り、たちまちそのおもしろさと活力に魅了されました。
早速ご紹介してみたいと思います。
絵日記がはじまる
1870年(明治3)頃より付け始めたといわれている暁斎の絵日記。とすると、暁斎が39歳くらいからとなるでしょうか。59歳で亡くなっているので約20年間描き続けたことになります。
しかしその内容の豊富さたるやこの充実ぶりで20年も続けただなんて暁斎のパワーを感じずにはいられません。来訪者や訪問先、その日描いた作品、手に入れた古美術、お金のこと、弟子たちの学習状況までありとあらゆることを記録されています。また自らこしらえたというスタンプも多用されています。
どれも生き生きと描かれユーモアたっぷりです。そして人々との交流がなんて多い人なのだろう!と驚きます。
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絵日記にはいろいろなお店の名前もでてきます。「いせ辰」や「はいばら」は今も健在で私も良く知っているので興味深いなあ!と感じます。夏目漱石が愛したという本郷の「藤むら」は今はもうないけれど私の高校生くらいまでは現存していたのでなつかしいお店です。きみしぐれがおいしかったなあ。
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「光明先生から羅漢図をうけとる三男・記六」「版元沢村屋が来て色挿しを依頼」
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さらりと描いてこの腕前!さすがです!
ジョサイア・コンドルが入門
暁斎は多くの西洋人との交流がありました。中でもあの英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)は暁斎に入門して「暁英」の画号を得るまでに。ジョサイアコンドルといえば日本の鹿鳴館やニコライ堂、三菱一号館や岩崎久弥邸、旧古河庭園の洋館などを設計し活躍した建築家です。21歳年下のコンドルが暁斎に入門したのは1881年(明治14)頃で暁斎51歳の時でした。暁斎は毎週土曜日に弟子を連れて麻布今井町、後には京橋西紺屋町にあったコンドル宅へ出稽古に通いましたが、その交流が楽しく記録されています。
コンドルは正座ができないとかで寝そべった姿勢で絵を描く姿や暁斎らとテーブルで食事をする様子などがあり大変興味深く観ました。
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車引きの男性は「辰蔵」という名だったことから竜の顔で描かれています。おもしろいなあ!
狩野派と天才河鍋暁斎
江戸時代、職業画家を目指す人々はまず狩野派を学びました。お手本といわれる「粉本」でとにかく名品を模写する教育でした。
暁斎は数え7歳の時に浮世絵氏の歌川国芳の画塾に入門しましたが、父親の反対もあり2年ほどして駿河台狩野派の前村洞和愛徳の門に入ります。その後洞和が病気となりその師匠であった狩野洞白陳信の門に移り、狩野派として本格的に修行を積みます。
そんな経緯もあって、河鍋暁斎は幕末から明治にかけて、アカデミックな狩野派でもありながら大衆的な娯楽作品として愛された浮世絵も手掛けるという絵師でした。
粉本を写すことで徹底的に技術を習得しましたが、絵師として独立した後も「自分が学びたい、参考にしたい、と考えたものをすべて描きとった」のだそうでとにかく絵を描くことが好きで貪欲だったのだろうなあ!
その情熱は絵日記にも良く表れていると感じます。
書画会のにぎやかさがまだ楽しい
18世紀も半ば過ぎになってくると南蘋派や雪舟流という画派が流行し、狩野派の画流に飽きていた大名や武士たちにも受け入れられ狩野派が衰退していきます。
狩野派の絵師は「書画会」というお客の望む席画や席書を即興で制作する会への参加も禁じられていたのですが、暁斎は狩野派衰退後書画会にて一日に100枚以上もの席画を描くこともあったとか!
引っ張りだこの人気者でした。
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人物がどれも生き生きとして見ていて飽きません
暁斎の日記をみていて思い出した「日記」がありました。自分の育児日記です。いや、日記ではないかな、記録です。
私はいつも日記をつけても三日坊主なのですが、この時は日記のように毎日を記録することでしか耐えられなかったほど気持ちに余裕がありませんでした。
とにかく欠かさず記帳していました。
それはもう20年も前のことになります。
双子育児の記録に絵を添えた
今から20年前わたしは男女の双子を産みました。
上に4歳離れた長男がいたので、出産に関してははじめてではないという気持ちがあり、とにかくすごく楽しみにしていたことが思い出されます。
でも先日おもいがけず出てきた記録帳をみたら当時の不安がよみがえってきました。何がそんなに不安だったのでしょうか。
私の心配は子どもたちの事ではありませんでした。
二人がかわるがわるに起きてミルクを飲むとかおむつを替えるとかしていたら自分の眠る時間はどうなるのだろう?などということが心配だったのです。その状況に自分の気持ちがどうなってしまうだろうかということ。自分が耐えられるかどうか、それだけが心配で心配でたまらなかったのでした。
この記録は、忘れないようにというよりは、「ちゃんとやってる」「こなしている」という自分への励ましだったのではないかと思います。思い出として残しておきたいとかそういうものではありませんでした。
必死だった当時の気持ちを覚えています。
一人育てているのにその経験は双子育児に関してまったく活かせませんでした。産まれてみてそれがわかりました。こんなに追い詰められるような切羽詰まった気持ちになるなんて。
普段適当な人間なのに我ながら意外でした。
その記録帳をみると、2、3時間おきのおっぱいとミルクの時間の記録、あわせて尿と便と飲んだか眠ったかぐずぐずしているかなども記録があります。夜中もその調子で二人それぞれの様子を書いていて「うあ。大変そう」と自分のことながら見るのも怖くなります。
でもそのうちミルクをたくさん飲めるようになってまとめてねてくれるようになり気持ちによゆうがでてきたのでしょう、私は記録のそばに絵をつけるようになってきました。みてみると、生後150日くらいからのようです。
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当時子どもたちを呼んでいた呼び名、長男とのふれあいやお友達との交流などすっかり忘れてしまっていたことが書かれていると「わあ。書いておいてよかったなあ」などと思います。また、それが絵で描いてあることですぐ目につくしちょっとユーモアも感じていいなと思ったり。
20歳になった息子にもみせてみたら、自分のおもしろい行動に「かわいい!」と言って笑ってくれました。
このノートは3冊続いています。
でも3冊めには半分くらいでもう書くのをやめていて、空白です。もう大丈夫と安心できたのでしょうね。
ちょうど生後270日目で終わっていました。
絵記録をまた描いてみたいと思い
この記録には夫や私がイライラしたことなども絵で描いてあります。でも絵だとなんだかギスギスしてなくていい感じなんです。(ほんとは修羅場だったりしたんですけどね笑)
河鍋暁斎の絵日記をきっかけに自分のこの絵記録を思い出し、ああいいなとまた描いてみたくなったので実は今年1月からまた始めてみています。
眠い。というだけの顔一個のこともあり手軽なので、いまのところ毎日続いています。
「日記」というにはあまりに適当で簡単すぎるものですが、1日をふりかえることができるので、少し丁寧に生きていけているかもしれないと思えてうれしいです。
毎日が飛ぶように過ぎていきます。
そんな毎日も、この絵記録のように時には心の支えにしながら、そして、あとでクスッと笑えるようなことを描き留めておけたらいいなと思っています。