フッサール現象学が成立するまでの過程
フッサール現象学が成立するまでの過程を榊原哲也共著『現代に生きる現象学 ー意味・身体・ケアー』に基づいて学びます。
フッサールは、「数」の概念を「数える」という心理的作用から考えた。
そのとき、手がかりにしたのは、ブレンターノの〈心理現象は内容ないし対象への志向的関係をもつ〉という思想であった。
たとえば、リンゴ、ミカン、バナナなどを一つ、一つ、一つと数えることによって数(この場合は3)の概念が成立すると考えた。数えるという心理作用がもつ、諸内容(リンゴ、ミカン、バナナなど)を取り集めて結びつける集合結合という働きはブレンターノが言う心に内在する諸内容ないし諸対象への志向的関係の一つであるが、数の概念の起源は、まさにこの集合的結合としての「数える」作用、言い換えれば、「諸内容を結合しつつ包括し」「総体を成立させる心理作用」に求められるのである。
「四角い丸」の場合、このような対象は存在しないが、意味は持っている表象である。表象とは、一般的には、象徴、シンボル、記号であるが、心理学では、「外の世界における事物を表す心の中の表現」ということです。
フッサールは、ブレンターノの「心理現象は内容ないし対象への志向的関係をもつ」を「心理的作用が意味を介して対象と関係する」として捉え直す。
その後、この「意味」を〈人間がそのつど心に抱く時空的に限定された心理的なもの〉としてではなく、〈時空に限定されない永遠不変のイデア的なもの〉として捉えた。
これは、当時のフッサールの関心は、数学のみならず、諸学の基礎として論理学の諸概念、諸命題の意味とその起源に向けられていたからである。
すると「意味」がイデア的意味として位置づけられると、意識の志向性は、心理的作用がイデア的意味を介して対象に志向的に関係することになる。
こうなると四角い丸の意味がイデア的意味となってしまい、逆説的な事態となります。
この困難な事態の解明のために、現象学の書「論理学研究」を必要とした。
「論理学研究」には第一巻と第二巻がある。
第一巻では、数学も含め諸学の基礎をなす論理学の諸概念、諸命題の意味のイデア性を明らかにし、これらイデア的な論理学諸概念、諸法則を扱う「純粋論理学」の理念が呈示された。
第二巻には、〈イデア的意味を心理的作用が構成する〉という事態を解明する諸研究が収められた。「現象学」はこのなかで、第二巻冒頭の「序論」において「純粋論理学の認識論的基礎づけ」のために要請される。ここに現象学が誕生する。
抽象作用の基盤としての、事象を知覚する端的な感性的直観作用に関する現象学的分析と、感性的直観作用に基礎づけられた「範疇的直観」および「普遍的直観」の現象学的分析によって、逆説的な事態の解明されようとしたと考えられる。
フッサールの「論理学研究」に対して、竹田青嗣氏は次のように評価している。