プラトンの『パイドン』にある「哲学することは死の練習である」について
もはや、77歳だというのに、何で、胸にモヤモヤとしたものがあるのだろう。
意識というものがあることは、確信できるが、それが、胸にあるのか、脳にあるのか、それとも身体全体にあるのかは、脳神経科学でさえ、分かっていないことなので、「胸にモヤモヤ」という表現を仮に使った。
私と同年齢である哲学者中島義道氏は、数々の書籍を刊行し、大学教員を務めあげ、実績も十分に積み上げてきた人でさえ、[私は哲学しているのか?」という問うと「していない!」]と答えるようです。
そんな中で、プラトンの『パイドン』にある「哲学することは死の練習である」という有名なフレーズを知ったそうです。その部分を抜粋します。
中島氏は、「もはや社会は(もしかしたら誰も)あなたを必要としていないのですから、このさいこの世に執着することはやめて、死のみを考えて残りの人生を送ったたらいかがでしょうか?」と進言する。
その結果、不幸になるかも知れないし、しかも何もわからないまま死ぬかもしれない。でもそれが哲学することである、というのです。
死が直近まで来ていると感じているから各種の哲学書を読み、仏教学者佐々木閑氏の動画を観ている。それでも「胸のモヤモヤ」は取れない。