宇野常寛著『砂漠と異人たち』で論じているT.E ロレンスと村上春樹について
宇野常寛著『砂漠と異人たち』を読了しました。
本書は主に、T.E ロレンスと村上春樹を論じている。宇野の結論を言えば、ロレンスは自己の外部を求め、村上は自己の内部を追求した結果、両者ともに失敗した、ということであった。
1 ロレンスについて
それでは、どう失敗したのかというと、まずは、ロレンスについての説明は下記のようになる。
映画『アラビアのロレンス』に描かれているように、ロレンスはイギリス陸軍エジプト基地勤務の地図作成の部署に配属された。独断で、わずかな人数のアラブ人の勇者と、アカバを攻めるという無謀な戦略をたてたが、意外にも、まんまと、この攻略が成功したことで、ロレンスはイギリスの英雄として、取り上げられることになった。
しかしながら、これが、かえって、その後の、ロレンスの生き方を苦しいものにさせ、精神を病み、自殺をほのめかす状態にまで追い込まれた。
宇野によれば、ロレンスが、このような状態に導いた要因として、
「想定するものがあり過ぎてとても特定できない。凄惨な戦場の体験がもたらしたシェルショック(戦争神経症)、アラブ人を扇動し利用したことへの罪悪感、戦後の政治的な闘争における敗北による挫折感、大戦の英雄としてメディアが作り上げた自らの虚像とそれを利用することをどこかでやめられない自己への嫌悪感ーーーこれらはすべてロレンスの残した手紙や手記の中から推察されるものだが、このうちどれ一つとっても一人の人間がその後半生を自ら破滅する理由として十分なものだろう」ということである。
ロレンスは、戦地からイギリスに帰国後に『知恵の七柱』の執筆にとりかかり、本人としては、ドストエフスキー、ニーチェ、メルヴィルに匹敵する文学者としての名声を得るつもりでいたが、作家リチャード・オールディントンからは「嘘つき」と酷評されるという具合で、当然彼の夢は、かなわなかった。
宇野は、ロレンスを評価した人として、アーレント、コリン・ウィルソンなどを提示していたが、私は、個人的な理由もあり、コリン・ウィルソンの評価に注目した。
コリン・ウィルソンの著書『アウトサイダー』という、署名にひかれて、若い頃に、図書館で読んだことがある。当時は、殺人、オカルト、心理学などの独自の思想の作家で有名というイメージを描いていたので、この書を手にしたが、まったく、歯がたたずに、途中で読むのを、断念したという記憶がある。
ところが、今になって、コリン・ウィルソンの名前が、しかもアウトサイダーという署名までが出てきたので、何かの因縁があるのかと驚いた。
そのコリン・ウィルソンによるロレンスの評価について、「強烈な自己否定に囚われており、そのために自分自身を知ることがなく、戦争で得たものを、その後に活かすことができなかった人間なのだ。もし、ロレンスが自身の精神的エネルギーの枯渇した原因を理解していれば、彼の才能はたとえば創作というかたちで発揮されただろう。」と宇野は、述べている。
つまり、ウィルソンが、この『アウトサイダー』を書いていた当時には知られていなかったが、ロレンスは、鞭打ちによるマゾヒズムやオートバイによるスピード狂などに囚われたりしていなければ、ロレンスが希求していた、ドストエフスキーなどに匹敵する作家になりえた可能性があったというわけである。
砂漠、鞭打ち、オートバイというような外部に救いを求め、内面を追求することがなかった結果、自己を見失い、失敗したということになる。
2 村上春樹について
一方、村上春樹は、内面を追求したが、彼も失敗したと、宇野は批判している。どういうことか。
村上は、世界的な学生運動で反乱が起こったとき、権力側によって鎮圧されるという挫折を味わった世代ということで、村上自身は、学生運動には、関わっていなかったとはいえ、学生運動以降は、社会とはデタッチメントを貫いてきた。私は、村上より3歳年上だが、同時代を生きてきたので、その気分はよく理解できる。
とはいえ、オーム事件が勃発してから、徐々に、社会にコミットするようになった。だが、宇野は、次のように村上の描く小説を批判する。
「村上春樹の小説に登場する主人公たちは、「僕」は、失われた「直子」を求め続けていた。それは、無条件の承認を与えてくれる「母」のような「妻」の所在への欲求だ。しかし、彼が取り戻すべきは「直子」ではなく「鼠」ではなかったのか。鼠と、五反田君と、免色を自己の鏡としてではなく、対等な他者として認め、並走したときこそ、少なくとも彼はこれまでのとは異なる方法で、世界に、そして歴史に、あるいは悪に対しコミットメントできるはずなのだ。」
女性を「母」と見て、無条件の承認を与えてくれることを要求するといえば、旧統一教会の家父長制度を想起させるもので、今日では、ジェンダーバッシング問題として、最も、女性から攻撃される立場となる。
村上は、ロレンスと違い、社会に対して、デタッチメントかコミットメントかと、内面を探りながら、対応してきたが、失敗した、と宇野は結論づけた。では、どうすべきかと、処方箋を提示しているが、それについては、本書を参照下さい。
3 ゴータマ・ブッダについて
処方箋については、魚川裕司著『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』から引用してみる。
「友よ、生まれることもなく、老いることもなく、死ぬこともなく、死没して再生することもないような、そのような世界の終わりが、そこへと移動することによって、知られたり、見られたり、到達されたりすることはないと私は言う。
だが友よ、世界の終わりに到達することなしに、苦を終わらせるということは存在しないとも私は言う。
友よ、実に私は、想と意とを伴っている、この一尋ほどの身体においてこそ、世界と、世界の集起と、世界の滅尽へと導く道とを、告げ知らせるのである。」(ローヒッタサ経)
これは、ゴータマ・ブッダが、「世界の終わり」について、ローヒッタサに語った言葉である。
ローヒッタサという神がゴータマ・ブッダに近づいて、「生老死もなく、輪廻することもない世界の終わりに、移動(旅行)することによって到達することはできますか」と質問することから始める。
「そんなことはできない」と答えた。(中略)
世界の終わりは、空間的な移動によるのではなく、想と意を伴った、この一尋(両手を広げた長さ)はどの身体に求められるべきである、とゴータマ・ブッダは答えた。(以上引用終わり)
「ここではないどこか」へと求めて、赤軍派たちは、海外へと移動したが、ゴータマ・ブッダは2500年も前に、すでに「この一尋(両手を広げた長さ)」、つまり、「ここ」にしかないと答えているわけである。
また、内面の苦にしても、欲望、煩悩が起因しているのであり、それを消滅すれば、苦も消滅するとゴータマ・ブッダは諭している。その消滅法の手順もゴータマ・ブッダは、教示している。だが、その手順のハードルが高すぎて、私を含めて、たいていの人たちは実践することはできないでいる。マイルドな実践法としては、気づき(マインドフルネス)、ヨガ、瞑想などを実践している人たちもいるようではあるが・・・・