『中国哲学史』 中島隆博(著)17世紀以降の中国哲学 《中島隆博×東浩紀「中国において正しさとはなにか──『中国哲学史』刊行記念」 @hazuma #ゲンロン220513》より

西洋は中国をどう見たのか

中国哲学とヨーロッパ近代
17~19世紀 イエスズ会その他の宣教師は中国の膨大な情報を西欧へ、もたらした。その中でも神なしでも中国は存在していることに西欧を揺さぶった。こうした中国の衝撃を正面から受けとったのはライプニッツだった。

ライプニッツと中国
ライプニッツの中国理解のポイントは?
キリスト教的世界観と朱子学的な世界観を繋ぎ合わせることだった。 

理が神に匹敵するようなものであるとすれば、神自体が複数の仕方で存在することになるのではないか、あるいは理が神と同一であるとしても それが生み出す世界は別々となるのではないかと ライプニッツは危惧したのであり、それを避けようとした。

可能世界論すなわち世界は可能な仕方で複数ありうる。ところがライプニッツは、数多く可能な世界の中で、神がこの世界をいったん選択したからには、それが最もよい世界であるから、もはや選択の変更はありえないとして、可能性(偶然性)を必然性に変換し、それ以上の変更の可能性を消去した。

地上の幸福
18世紀になると、中国贔屓と中国嫌いにはっきりと分かれていく。

ライプニッツの弟子であったヴォルフは大学の学長を退任する際の講演で、キリスト教は思弁的であるが、中国は実践的である、という主旨の発言を行ったことで、轟轟たる非難を浴びて、大学から退去する結果となった。実践的という言葉が中国贔屓となるかは微妙ではあるが、大学追放という危険を冒してまでヴォルフが主張したかったのは、中国哲学における理性が、まさに自分たちヨーロッパの理性であるということだった。

ディドロ、カント、ヘ-ゲルの中国に関する発言

ディドロ:「東洋の精神は、静かで、怠慢で、本質的な必要に閉じこもっていて、自分たちがうちたてたと思うものに、とどまっていて、新しさに欠けている」 ⇒シノフォビア(中国嫌い)を引き起こす。

カント: 「他民族の国家の歴史」はギリシャ・ローマにとっては「挿話的に」付け加えるだけでよい、と述べた。(「世界市民的見地における普遍史の理念」)

ヘーゲル: 
論語は通俗的道徳。
孔子は思索的な哲学は全くない。
中国は歴史に値する変化がなく、永遠に同じものが再現 インドとともにいまだ世界史の外にある。

載震ーーー考証学の時代
朱子学的な理の先に、もう一度礼を回復することで、載震は 善を実現しようとした。
礼が形式化して奢侈なものとなり、外貌を飾るという現実に対し、それを直接に批判することはしない。 そうした現実を作り上げている原因が、人々の情を薄くなったことにあるとして、それを回復するべきだと主張する。


胡適のプラグマティズム
全面的な西洋化を模索し、その上で中国哲学を構築する。この西洋化とは、デューイのアメリカのプラグマティズムという、古いヨーロッパを超えた新しいアメリカ哲学を念頭においており、ヨーロッパを超えた西洋化を目指していた。

デューイのプラグマティズム
原因と目的に還元されない、具体的で偶然的な変化・推移を考察する。
発生的方法は、因果関係と無縁で、原因と結果を探求しない。
胡適はデューイのプラグマティズムを誤読していた。胡適が発生的方法を用いて構想した「中国哲学史」は、目的論的な因果関係の系譜を見出すことに大きく傾いていた。

新儒家
仏教的な実践である「成仏」を援用しながら、近代においていったん放棄された「聖人」になるという儒家的経験をもう一度賦活しようとする試み。

普遍論争
21世紀になって中国哲学は世界的な分脈で再び論じられるようになった。

現代儒教の三類型

①儒教国家論
 蒋慶は、西欧の民主制度では不十分で、儒教に基づいた中国独自の政治体制を創るべきだと主張する。

②儒教国教化論
 康暁光は、現代の条件の下で中国の権威主義にレジティマシーを提供できるのは儒家の仁政であって、そのためににはあらゆるレベルでの儒家を行うべきだという。

③儒教公民宗教論
 陳名は、儒教は宗教かという問いが、近代以降繰り返し問われ
 てきたし、そこには多くの理論的な難題があるが、公民宗教と
 いうことでそえを回避するだけでなく、儒教が公共性に貢献
 する可能性を広げることができるという。

中島氏と東氏の対談
・胡適は、老子はイオニア的であると述べているが、柄谷行人の
『哲学の起源』が述べていたことと重なっている。


・中島氏は、ヨーロッパ、アメリカにおいては、中国哲学の研究
 がかなり盛んであるが、日本は蚊帳の外にあると述べている。
 

・アノニマスだけど固有性がある、不定冠詞の神、主権なし
 などの問いをたてた。

・村上春樹は、学園紛争後の世代として、これから逃れたいが
 ため、深さではなく、浅さを描いてきたというのが、柄谷行人
 たちの解釈であるが、東氏は、村上春樹は、あえて浅さを描い
 ているのではないかと思い、こうした論調に違和感を感じて
 いると述べた。

・中島氏は、村上春樹の作品は戦争作家であり、初期三部作から
 戦争の影があると述べた。

【タイムラインをのぞいてみると、東氏は、また精神的に落ち込んでいる
様子です。この中島氏との対談では、生き生きとしているのだがね。】


 

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