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三田誠広著『空海』について

空海については、すでに2024年9月16日付けで苫米地英人著『空海は、すごい』に基づいて投稿していますが、今回は三田氏のの小説「空海」を読んで簡単な感想を述べます。

空海といえば、高野山の御廟の中で生きている、子供の頃空を飛んだとかの数多くの伝説があり、しかも信徒からは御大師と呼ばれて、信仰の対象となっているので、人間として描くのは困難であったと思われますが、三田氏は、リアリティーを損なわないようにして書いています。

子供の頃から神童として世間から扱われきたので、話し合うことのできる仲間もいないために、人里離れた山中を一人で歩き回っていた。

山中で修行者と出会い、丹生の里という集落に連れていってもらい、そこで、数歳年上の光明という名の少女を見て、一目ぼれ状態となってからは、何度もこの里に訪れることになった、ということが描かれています。

丹生の里というのは水銀を精錬する場所です。水銀は猛毒なので、身体に腫れ物ができて命を落とすことがあり、この少女も出会ってすぐに亡くなった。真魚(空海の幼少期から青年期の名前)は、この悲しみをことあるごとに思い出すことになる。

この真魚という少年が、留学生として唐に渡ってからわずか1年で、当時最高峰と言われていた密教の秘伝を継承し、阿闍梨にまで登りつめたという、一種のドイツ風教養小説に仕立てあげられていました。




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