
目には見えないけど存在する空気、世間⑤
これまで、生きづらさ、息苦しさを感じさせるものとして、「世間」や「空気」を取り上げ、それぞれの正体や機能、役割などについて書いてきました。
前回の記事では、「世間」と似たようなイメージのある、「社会」との違いや、日本は、「社会」と
「世間」を使い分けているということを書き
ました。
そして、今回は、所属するしている人々にとって、
一方で、セーフティネットとして機能し、もう一方で、人々を支配、拘束し、時には排除しようとする日本の「世間」が、海外の神のような役割を
果たしていた、ということについて書いてみたいと思います。
日本で神というと、昔は八百万の神というように、
様々なところに色々な神様がいるといわれて
いましたが、現代では、神はいない、と考える人も多いのではないでしょうか。
海外の国では、唯一絶対の神がいて、その神に
対して従い、信仰する人が多数派です。
一神教の神は、自らへの忠誠を求め、他の神の存在を認めません。
自らに忠誠を誓う者に対しては恩恵を与え、
忠誠を誓わない者には罰を与え、排除する。
下記の記事で紹介した、「世間」のルールのなかの、1.贈与・互酬関係と、4.差別的で排他的と
共通しているのではないでしょうか。
神は、日本の「世間」のように、人々を拘束する
一方で、今なお人々の精神的な支えとなって
います。
貧乏であろうと、人々から疎外されていようと、
無力であろうと、神は相手を選ばず、信仰する人々には、無条件に愛を与え続ける。
"「空気」と「世間」"の中では、アメリカが例に
挙げられていますが、日本よりもはるかに格差が
激しいアメリカ社会で、それでも人々が生きて
いられるのは、神という存在、支えがあるからだ
というのです。
特に、貧しさと信仰度合いは正比例し、
経済的に豊かではない人ほど、熱心に神を信仰するようになり、アメリカのなかで、無視できないほどの数と影響力をもっているとされています。
下記の記事で、「世間」がセーフティネットの役割も果たしていたと書きましたが、アメリカを
はじめ、一神教の国では、神が精神的なセーフティネットの役割を果たしているのです。
「世間」は、神のような役割を果たしていると書きましたが、日本には海外で信じられているような、
唯一絶対の神はいません。
その代わりに、「世間」が、所属する人々に
対して、「世間」のルールを守る限り、利益を
もたらし、ルールを破ろうとする人々には罰が
与えられてきたのです。
かつては「世間」のルールに従っていれば、
不利益を被ったり、仲間外れにされることは
なかったものの、今は「世間」が崩れつつあり、
不安定になってきた。
「世間」を元に戻すことはできないから、
せめて「世間」の雰囲気を感じられる「空気」を
求め、「空気」を読み、従うことで安心を得ようとしている。
しかし、「世間」は神のように、
信じれば無条件の愛が与えられるというわけでは
ありません。
もともと「世間」は、自分と関係のある、利害関係のある範囲に属する人々にしか利益をもたらさないのに、その「世間」すら不完全になっている。
神のような存在をもたない日本で、
神と似たような役割を果たしてきた「世間」が
もしなくなったとしたら、どうなるでしょうか。
「世間」がまだ機能していた時には、
「世間」に所属している個人よりも、
「世間」を維持し、「世間」のルールを守ることが優先され、それゆえに所属している人々は息苦しさを感じていたのではないでしょうか。
しかし、これまで息苦しさを感じさせていた
「世間」が崩れてみると、崩れた「世間」を
再び求めようとして、不完全で、流動化した
「世間」の形である、「空気」を読み続ける
というわずらわしさや、「世間」という支えを
失い、代わりとなるような存在が見出せずに途方に暮れる虚しさなど、新たな生きづらさ、息苦しさが
現れてきているような気がします。
「世間」が崩れる流れはおそらく止めることは
できず、かつてのような、完全な状態の「世間」を取り戻すことは不可能だと思います。
"「世間」と「空気」"の中では、精神的な
グローバル化、と書かれていますが、海外の
自由や、平等、個人の尊重などの価値観や考え方
が日本に入り、それらに触れた人々、相対的に、「世間」で過ごした時間がまだ短い、若い世代の
人たちは、個人の自由や考えよりも、「世間」の
ルールを優先し、場合によっては制裁をしてくる
「世間」に、価値を見出さなくなっているのも、
「世間」が崩れている要因の1つではないでしょうか。
今までは「世間」で生きてきた日本人が、これから向かう先はどこかは、私にも予想はつきません。
ただ、先行きが見えない、不安な世の中にいる
のは、誰もが同じことだと思うので、これから自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、なにを大切にして生きていきたいのか、自分自身と向き合う
必要があるのではないでしょうか。
そして、身の回りや社会にあふれる情報に流され
ないようにするために、"自分は"ということを意識していくことが大切だと考えます。
これまで、「空気」、「世間」について書いて
きました。
正直私の力不足もあり、記事を読んでくださる
皆さんにうまく伝えられていない部分や、
わかりにくいところはあったと思います。
ただ、気負わずにまずは書いてみようというところからnoteを始めたので、これが今の自分のできる
限りなのだと考えています。
もう少し慣れてきたり、上手く書けるように
なったりすれば、また違う形で、「空気」や
「世間」について書いてみたいと思います。
本を読む中で、「世間」や「空気」についての
様々な気づきや発見、理解の機会をくださった、
山本七平氏、鈴木博毅氏、鴻上尚史氏、阿部謹也氏に感謝します。
先人の方々の研究や知識のおかげで、私もこうして
記事を書くことができています。
最後に、ここまで読んでいただいた皆さん、
ありがとうございます。