恩師
私が恩師と呼べる先生に出会ったのは、高校に入学した頃だった。
当時の私は、走高跳を始めて約3年。
自己ベスト149cm。
中学校に陸上競技の指導者はいなかった事もあり、走高跳の知識は0に等しかった。
そんな私が入学した時に、先生は「走高跳をやっている生徒がこの高校に来るのはいつぶりやろう。」と嬉しそうに言っていた。
今まで、指導者と呼べる先生に指導してもらう機会も、期待されたことも無い私にとって、先生のその言葉がすごく嬉しかった。
そこから、私と先生との陸上人生が始まった。
指導を受ける中で、私は「この先生について行けば強くなれる。」「この先生を信じよう。」と本気で思えた。
私は、「指導者を一切疑わずに信じ切る事」こそ、選手が強くなる上で大切な事であると思う。
では、なぜ私は先生を一切疑わずに信じ切れたのだろうか。
考えてみると答えはすぐに出た。
それは、先生の指導法や人間性。
全てを尊敬できていたからだ。
そう思わせてくれた先生はどのように接してくれていたのかを思い出してみた。
まず、先生は出来ない事を怒らない。
当たり前の事だと思うかもしれないが、指導者で、選手が教えた事をできないと怒る人も結構いる。怒られるとやる気は無くなるし、怒られるのを恐れ何も聞けなくなる。何も良い事はない。
だから、出来ない事を怒らない先生の指導は、とてもやりやすかった。
また、先生は、何もわからない私に、専門的な言葉を使って指導するのではなく、擬音語や例え話で指導をしていた。(踏切は「グン」とか、地面を強く押すことん「地面下3cmを踏むイメージ」とか)
知識が無かった私には、それがすごくありがたかった。
私のように知識が無い人に、難しい言葉を使われても、頭が余計にこんがらがってしまうだけだからだ。
このように、先生の指導法は、「生徒がやりやすいような環境を作り、生徒の求める指導法を探し、指導する」という「生徒ファースト」なものであった。
この「生徒ファーストな指導」こそ、私が先生を一切疑わず信じられた理由の1つである。
また、先生は指導法だけではなく、人間性も素晴らしかった。
結果が出た時も、出ない時も、調子が良い時も、良くない時も、常に支えてくれ、言葉をくれていた。
私は、昔から強かったわけでは無いし、高校の後半になって大阪や近畿のトップ選手と戦えるようになった。
だからこそ、結果だけを見て寄ってきて(もちろん応援、期待はすごくうれしかった)記録が出なくなった途端、突き放されるということも多々あった。
そんな中、先生は、どんな時も常に支え、声をかてくれた。信じてくれていた。
きっと、私よりも私の可能性を信じてくれていた。
今思えば、大阪インターハイ予選前に調子がすこぶる悪い私に「今上がってる途中なんやから、調子悪くて当然やん。」と先生が笑っていたのも、私の可能性を信じて疑わなかったからだろう。
私が不安な時に、自分自身が今までやってきた事は間違いじゃないんだと、自信を失わなくて良いのだと、そう思わせてくれる先生の行動や言動には、本当に救われた。
私は、この指導法、人間性のおかけで「この先生について行けば強くなれる。」「この先生を信じよう。」と本気で思え、がむしゃらに練習出来た。全力で目標に立ち向かえた。
そして、もう1つの目標も見つける事が出来た。
それは「先生のような教師になる。」という目標だ。
現在、大学3回生。学生陸上も終盤に差し掛かり、勉強と陸上の両立の日々だが、先生に頂いた目標に向かい、どちらにも全力で取り組んでいきたい。