本日、私はお客さま。

ジャージを着た娘が台所に立っている。

コンロの火にかけたフライパンの中の、ナスや人参を、菜箸で混ぜていた。私はスマートフォンを構えて、シンクの前まで近付き、フレームにその姿を収める。

パシャ。

「お客さま、困ります」

娘がフライパンに視線を落としたまま言った。

「あ、はあ、すみません」

どうやら、ここから先は立ち入り禁止だったらしい。
日々、母上やらお袋やらと、呼ばれ方がころころ変わるのだけれど、本日の私はお客さまだった。同じく台所にいる夫が、私の傍らへやってくる。

「お客さま、お部屋へどうぞどうぞ」

と、居間のドアを開けて促した。

エアコンから暖かな風が送りこまれる音がしていて、炬燵が微かにブゥンと鳴っている。夫は部屋と台所を行ったり来たりして、お箸と取り皿を手早くテーブルに置いていく。
私はちょっと手持ち無沙汰なまま、小さく席に着いていた。

「アシスタントのひとー」

「はいはい」

台所から聞こえる娘の声に夫が応える。

「フライパンが重たくて持ち上がらない」

「はいはい」

フライパンを支えて貰いながら、菜箸を慣れた風に使って、群青色の大皿に野菜炒めを移し替えている。

そのうちに娘が部屋に顔を出して、

「こちらは、しょうがが効いたホタテと旨味たっぷり野菜炒めです」

と、言いながら大皿をテーブルに置いた。リゾットのよそわれた器が配膳されて、食卓が整っていく。ふわりと膨らむようにたちのぼるあたたかな湯気と、オイスターソースやチーズの芳醇な匂いが部屋の中に漂っていた。

三人揃ったところで手を合わせる。

「いただきます」

ぱくりと、リゾットを一口。

たっぷりのチーズとトマト、まろやかさと、それから少しだけ歯ごたえが残った玉葱の甘さがとてもいい。

凄い。なにこれ。

「すごく、美味しい。お店で出せる味だよ」

私はリゾットをもう一度口に含む。いくらでも入りそうだった。もぐもぐと咀嚼する。娘と夫がそれぞれに言った。

「作ってるとき、ご飯を炊いてなくてどうしようかってなった」

「だからお米から作ったのよ」

「え、そうなの。お米から。そうか、なる程。本格的なレシピだ」

お米の輪郭が何となく歯ごたえとして残っていると思ったら、実際に手間暇がかかっていた。美味しくなるわけだ。

「夫が手伝ったの?」

「いや、殆ど娘さんがやった。アタシは混ぜただけ」

「おお」

「タマネギも私が切って炒めた」

「そうなんだ。レシピがあれば娘はここまで作れる腕前なのかぁ」

「野菜炒めは生姜が多かった」

その声には、ちょっとレシピと分量が違っているのだけれど、という、躊躇とも残念とも捉えられそうな響きが含まれていた。私は大皿に箸をのばして、取り皿に野菜を取っては頬張った。
キクラゲのギュッとした歯ごたえが歯に愉しい。

「実は私、生姜、好きなんだよねぇ。あと、普段食べないけど、キクラゲも好きなんだよね。」


生姜の香りが鼻を抜けていく。くっきりした味付けを爽やかに纏めてくれて、いい風味だなとしみじみ思う。

「美味しいなぁ。これ味付けなに?」

「オイスターソースと、鶏ガラスープの素」

「へえ。その二つをあわせるんだ」

私は新しい発見をしたみたいな気持ちでもう一度、箸をのばした。毎年娘はこのように、たまに料理を作ってくれるのだけれど、年々技術が上がっている気がする。人参とナスにも火と味がきちんと通っている。

「あと、ホタテにはお酒で下味を付ける」

「ああ、なる程」

私が留まることなく箸を動かして食べる姿を見て、娘は、

「生姜、多かったけど、お客さまが美味しいって言っているからいいか」

腑に落ちた風に言った。それから、

「今日はこれが誕生日プレゼントね」

と私の目を見て笑った。

「いえいえ本当に。十分です。どうもありがとう」

そういったわけで、本日のいっとき、私はお客さまだった。これは過日の、ちょっとした夜のお話である。

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