鬱は私の人生に必要な起伏
いつも誰かと何かを比べてしまう。あっちが上、自分が下、はたまた上…なんて。
馬鹿らしいとはわかっているけど、辞められたことがない。
人間の本能なんだと思う。
この呪縛から逃れることはできない。私は永遠に人と比較し続けるだろう。
そして一喜一憂するのだ。
ここ最近は今までの悩みをnoteに綴ってきたのだが、なんかネタが尽きてきたような気がする。飽きてきた、というわけではなくて、己から湧き出す憎悪が減ってきたんだ、ってこと。
やっぱり気持ちを文字に起こして発信することはスッキリする。Twitterだと短文だから炎上リスクもあるけどnoteで炎上というのはあまり聞かないからちょっと安心。
自分の中の汚水の排水というのかな。岡田斗司夫が言うところのモーニングノートが私にとってはこのnoteな訳で、汚水がだんだん減ってくると書けることも減ってくる、ってわけだ。
だから、自分の浄化作戦が成功して今は落ち着いている。
1ヶ月前は汚水が溜まりきってnoteを書く手が止まらなかったし、相当文章に憎悪と劣等感が渦巻いていたと思う。
でも、こうやってネットの海に汚水を流していくと自然と浄化されていって、よく書く手が止まるようになった。とても良いことだ。
もちろん、人と比較してしまうこともあるけれど、以前ほどひどくはなくなった。
それは時間経過もあるけれど、やっぱり一番は海外に行けたと言うのが大きい。
すごく自信がついたし、比較する時も対象物と対等になった。
「自分ってすごい、恵まれている」と心から思えるようになってきたし、上を見て僻むことも以前に比べると本当に減ったと思う。
まだまだ過敏になってしまうことはあるけれど、かなり改善した。
あの時の自分はなんだったんだろう。自分でも人が変わってしまったみたいだったと思う。まだ鬱は治ってないし、後遺症もあるけれど、なんだかスッキリした気分。
考えてもよくわからない。でも、この落ち込みは私の人生にとって必要な起伏な気がする。
みんなこうして何かにつまづいて、そして立ち直って歩いていくのだろうか。
コケてそのままの人もいれば、浅い傷口で済む人もいる。何が違うのか私にはわからない。けど、少なくとも私は立ち直れる側の人間ということは分かる。
自己管理、特にメンタルの扱いは難しい。一度制御不能になるとなかなか治らないし負のスパイラルにも陥りやすい。
だからこそ、慎重にケアしなければ。自分を大切に。